『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』と『ポストモーテム』をあわせて読むと味わいが深くなる

薬の飲み合わせのように、世の中には読み合わせて効果の変わる本がある。最近だと『三体』と『宇宙人と出会う前に読む本』はなかなかに読み合わせが良かった。

『ポストモーテム みずほ銀行システム障害 事後検証報告』は2021年2月28日を皮切りに短期間で多数の障害を発生させた事例を日経コンピュータがシステム面からまとめた堅い本。対して『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』は(本文中ではイニシャルであるが)富士銀→みずほ銀のベテラン銀行員が銀行の内幕をユーモアある筆致で描いた柔らかいエッセイ。

テイストは異なる2冊だが、どちらもみずほ銀行の大障害を描いているという共通項がある。システム面を報告書から冷静に読み解く分析と、そこで働く人間の情緒を両方見ることで、片方を読むだけでは味わえない納得感が得られるのだ。

『ポストモーテム』は単独でもITエンジニアにおすすめ

システム障害はなぜ起きたか』『システム障害はなぜ二度起きたか』も面白かったが、やはり事例が新しいぶん、ITエンジニアにとってはこちらのほうが学びが多いだろう。ミッションクリティカルなシステムを運用していなくても参考になる部分は多い。

post-mortemという語をCambridge Dictionaryでひくと、以下のように出てくる。

a medical examination of a dead person's body in order to find out the cause of death:

要するに司法解剖である。informalな使い方として

a discussion of an event after it has happened, especially of what was wrong with it or why it failed:

も挙げられており、本書でいう「ポストモーテム」はこちらの用法であり、チェスの感想戦も英語ではpost-mortemというらしい。要するにポストモーテムとは犯人捜しではなく、みずほ銀行のシステム障害のwhat was wrong withとwhy it failedを解き明かすものである。

幾度も障害を起こしたみずほの新勘定系「MINORI」はSOA(サービス指向アーキテクチャ)の採用が大きな話題となった。SOA自体は悪いものではないと思っていたし、本書もそのように書いているのだが、正直なところ運用難易度の点からいって勘定系にSOAを採用するのは悪手ではないか、と感じた。自分は金融系のエンジニアではないので断言はできないが、理由を書いておこう。(専門的な話になるため非ITエンジニアは飛ばしてよい)

他行が勘定系を密結合にしているのには理由がある

MINORIはSOAを採用している以上、グローバルな分散トランザクションが必須となる。この分散トランザクションという仕組みが厄介で、トランザクション失敗をどう復元するかが難しい。疎結合なシステムとグローバルトランザクションというのは非常に相性が悪いのだ。

分散システムにおいて、グローバルな分散トランザクションが失敗した時には複数のサブシステムに対して修正コミットを発行する必要がある。この実装が非常に難しいのは金融系エンジニアでなくても想像できることで、実際に2021年2月末の障害ではロールバックのための機構が障害の直接的な引き金となった。分散トランザクションの取り消しなどに使う領域をパフォーマンス理由でメモリに割り当てており、メモリが溢れたことを起因にして連鎖的な障害に繋がった。SOAではあっても、グローバルトランザクションを採用する以上はトランザクション管理で障害が起こると障害の影響は大きくなるのである。

本書でもNIIの佐藤一郎教授の意見として「グローバルトランザクションがどうしても必要なら、アーキテクチャを密結合にする手もあった」と書かれている。私も佐藤教授の意見のほうに賛同できる。実際、三井住友銀行の勘定系は全てのサブシステムを同一メインフレーム上で動かしているらしく、そちらの方が運用難易度の点からも勘定系に求められる信頼性・確実性という点でもベターに感じた。この辺りの話は『データ指向アプリケーションデザイン』を読むと少し想像しやすくなると思う。

ではなぜこんな複雑なシステムに?

何故こんなにも複雑なシステムが出来上がったのだろうかという問いについては「運用部門と開発部門の力関係」という説明がなされている。運用部門よりも開発部門のほうに権力があるため、運用難易度の面から難色を示しても通りにくいのではないかと推測されている。自分も「開発部門に権力がある」会社にいたことがあるが、実感として納得・想像できる話だ。

金融もSRE的な視点を持つべきである、という感じの提言はなされているが、バジェットレートのような考え方はミッションクリティカルなシステムにはそぐわないため、本家のSREとは少し異なった毛色のものを新しく生み出す必要がありそうだ。金融は他の業界のベストプラクティスをそのまま使えなさそうで大変に見える。

組織の目詰まり感が凄い

非ITエンジニア向けにも本書はオススメで、とにかく組織のコミュニケーションに目詰まりが感じられる。象徴的なのが「頭取がインターネットニュースで障害を知る」というあたり。原因の一つには人が障害ランクを決めることがある。人が集まるとついつい責任回避の論理が入り込む。そういった思惑が顧客視点を置き去りにした障害対応に繋がった。

顧客視点がないどころか、法令遵守の意識も薄い。外為法違反となった2021年9月30日の障害だ。国際送金が間に合わなさそうだからといってマネーロンダリング防止の監視を切って送金するという、一歩間違えれば国際問題になりかねないものだ。一般客には大きな影響はない障害なので知らない人もいるだろうが、問題の質としては2月のATM障害よりもタチが悪い。要するに、内向きの論理が法律に勝っているのだ。

『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』でミクロに見る

みずほ銀の組織風土をミクロに見られるのが『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』である。

冒頭で2021年2月の障害が書かれている。ATMがカードを取り込んで大きく報道されたアレだ。いきなりキツいことが書かれている。

本部など頼れず、その指示など待っていられない

 パソコンを立ち上げて作業をしていると午後2時30分ごろ社内メールが届いた。
「添付ファイルの『お詫びポスター』をプリントアウトし、貴店管轄のATMに掲示のこと。その場にお客さまがいたら、謝罪のうえ、丁寧に対応のこと」
 原因や復旧時期については何も触れず、当座の処置だけが記されている。本部からの指示はこちらが予想したとおりのものだった。

『ポストモーテム』でみずほ銀は顧客視点の欠如を言われていた。しかし実際には現場で働く人間の視点も欠如しており、現場もそのことに諦めを持っている。そんな現状が浮かぶ描写だ。現場にも復旧見込みが伝えられない。当座の処置のみ記載してあとは現場に丸投げ。

東日本大震災後の障害でも似たようなことがあったという。緊急での口座引き出しを行うにあたって、勘定系は動かないものの顧客情報を確認できるセールス用のネットワークが生きており、そこから先月末の残高を把握して引き出し可否を判断していたらしい。

驚くのはその情報の伝達経路。なんと支店どうしの口コミで伝わっており、例によって本部は何も言わなかった。こういう「前科」があるから現場は本部を信用しない悪循環。本部を信用できないから、誰も進んで責任を取ろうとしない。しかし責任を負わされないアリバイ作りだけはやらざるをえない。

その象徴が2021年2月の障害のさなかに行われたという「支店長会議」だろう。システム障害の発生している40店の支店長と預金担当課長を繋いでミーティングをしたのだが、アジェンダも決めず、伝えられたことは「進展があったらメールで伝える」のみ。

システム障害の最中、開催されたこのぐだぐだな会議こそが私が約30年にわたって働いてきたM銀行の縮図であったのかもしれない。

とあるが、まさに金融庁が指摘した「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」精神の発露に見えた。

ちなみに本書では障害の原因について以下のように書かれている。

ペーパーレス化移行のための特別なシステム作業が割り込んだことでコンピュータのハードディスクがパンクしたのだという。これがシステム障害を起こす引き金となった。それ以降に発生したATMの誤作動や停止のメカニズムについては、私には難しすぎて理解できない。

「ペーパーレス化移行のための特別なシステム作業が割り込んだ」ことは正しい。しかしパンクしたのはハードディスクではなくメインメモリである。微妙に間違えているあたりにリアリティがある。騙っていたらこんな微妙な間違え方はしないだろう。

ちなみにみずほの再発防止策の一つに「語り継ぎ」というものがあり、その話についても本書には書かれている。「あの記憶を風化させない」と題したイメージビデオを作成し、案の定というか、著者は「こんなバカなもん作って…」と呆れていた。しかしロビー担当の年輩男性庶務行員が「本当につらかったです…」と声を詰まらせるシーンには息を呑んだという。

運用軽視の風土はどこからきたか

『ポストモーテム』で指摘されていた運用軽視の風土には、営業偏重の企業風土が関連しているのではないかと感じた。営業で稼げる行員こそが出世の花形で、雪だるま式に権力が増えていく。対して総務、管財、事務といった部署は露骨に冷遇され、一度営業から外れると出世コースには二度と乗れない。このことが手を替え品を替え、事細かに描かれている。

おまけに上司ガチャが存在する。ガチャという言葉はあまり使いたくないのだが、そうとしか言いようのない人事制度なのだ。一人の支店長が最悪の人事評価をつけるとバツ印が2つ付く。次の支店長が最高評価の二重丸をつけるとバツが一つ減る。二重丸が2つないと昇進はできない。つまりソリの合わない上司一人に嫌われるだけで4年は足踏みをしなければならない。

そういう風土だから出世した部下は支店長に恩義を感じ、支店長の退職後には古希や喜寿のタイミングで支店長の名前を冠した会を開くという。もはや武士団だ。そういう組織風土なら、非常に内向きになることは容易に予想できる。終章ではセカンドキャリアについて書かれているが、人材派遣会社の言うことが厳しい。

M銀行で30年近く働いていたことは、なんのプラスにもなりません。あなたの経歴や保有資格には魅力が感じられず、あなたの市場価値は高くありません

厳しいことを書いたが、銀行員をはじめとした金融にまつわる仕事が非常に大変なのは分かる。元銀行員の友人がいるが、在職中は非常に辛そうだった。金融系の現場にいたエンジニアからはエグい話ばかりを聞いてきた。自分にはそんな仕事はとてもできそうにない。

にもかかわらず、銀行という業種の未来は厳しい。低成長時代には預金の利鞘では稼げない。企業が間接金融主体の資金調達から直接金融主体の資金調達に切り替えたことで、リテールも利益を出しにくい。今や銀行は手数料ビジネスの時代なのだが、『ポストモーテム』でも現場の窓口業務は明らかにコストに見合っていないという実感を記者が率直に描いている。

合わせて読むと理解は深まるのだが悩みも深まる。そんな読み合わせであった。 

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