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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏 『光る君へ』 16

「華の影」とのこと、
「石山詣で」での出来事。親しくしていた(と思っていた)サワが、すねて…。
「私には才気も恋人も、家での居場所もなく、」「みんな私をのけ者に。」って、まあ物語を回す為に=必要あって造られてる役どころだから。
「どうでもいい人間ほっといて。」という、「世の中をよくしなくては…」と思っている人間(=まひろ達)「世を動かす」可能性のある身分…、でない多数の庶民、人々の諦観とか意識を代表してのサワさん。
まひろ自身が蔑まされる上級貴族の世界とは違うベクトルの、自分は階級など取っ払って付き合っている(つもりの)事に(も)、不快感を持つ(階級社会の)感覚がある事を思い知らさらる体験。 は、紫式部が、『日記』にある-どちらにも属さない-醒めた視点の持ち主となるプロセスなんでしょうか。
また、参篭で出会った「道綱母」の「日記を書くことでおのれの悲しみを救いました。」という「書くこと」の意味の発見、という「観音菩薩の霊験」(とは、絶対に言わないで、でもその配偶を利用している『源氏物語』。)の「石山詣で」となった(みたい)。
「登華殿」!定子の御殿。
「椿」の庭…か。白に紅と深緑、雪には合うが、万葉集にも詠まれる日本の花樹だが「古今集」には登場しない花。『源氏物語』にも花は出てこない。『源氏物語』で有名な「藤壺」は「飛香舎」「桐壺」は「淑景舎」という「後宮五舎」のそれぞれで、「壺」=庭に植えられていた樹木の名前が通り名となっている。同じ「後宮」の御殿でも「弘徽殿」や「登華殿」は、より格が高く清涼殿、紫宸殿と一体となっている「七殿」の1つ。「壺」の
植樹の事は見えない。 =「登華殿」の庭に何の木があったかは不明。
また「ツバキ」に関しては『源氏物語』に出てくる…が、ドラマ13話に登場した「椿餅」としての登場。餅を椿の葉っぱに挟んだの。「食べ物」に(-包み材としてだか使われる物)は、平安時代の人たちは「雅なもの」とは捉えないルールみたいなのがあったみたいで、食品包装用材としての木を、花の鑑賞用の木として…宮中に植えられたか…は微妙。 (宮廷の「朝顔」に対しての、巷の「夕顔」=食用の干瓢の花、もその用例。)
「庭」の花や木の、つど都度の持ち込み(季節ごとの植え替え等)もあったにしても、さて「宮中」の「椿」どうなんでしょう。
の「登華殿」定子サロン。 弟の隆家も居る。
行成、書写した「古今集」献上。斉信は「越前から」の「鏡」献上。(なぜ「越前」なのか…とか、調べていると日が過ぎて…)
って、定子さま…の衣の「襲の色目」は「なんじゃろう」。あの鮮やかな「セルリアンブルー」を挟む色の重ね=「襲」、今残る『有職』には無い。
高畑「定子」キャラクターを色合いで表している…なら、成功と思われる。
いよいよ『枕草子』の世界…。で、もう『香炉峯』出てくる。
『源氏』の「紫式部」のお話し…だから『枕草子』にはあまり踏み込まない…のかな。にしても…。
六年正月の、皇太子妃となった-定子妹の原子=淑景舎女御と、同御匣殿と定子らが一堂に会するの『枕草子』一番の晴舞台、華やぎの頂点…は再現が難しいとしても、前年の二月積善寺での法要の折の「桜」の造花の事とか、道隆の栄華、もう少し見てみたかった。
ドラマでは、『枕草子』の「雪山の賭け」ではない「雪遊び」
帝の「公任「どの」」は、ちょっと驚き。 臣下の呼び方…。
かなり(自分の)昔のはなし。
祖父がうちの店のパートの人たち、普段は「さん」付けで呼んだり話したりしていたが、お給料を渡す時は「どの」を使っていた。子ども心に、従業員の女の人に「殿」って敬語を使う祖父が(子どもだったからか…)人格者に見えた。という記憶。いろんな勘違いもあるかと思いながら、ドラマで、帝が臣下に「殿」付け…で、突然思い出した昭和30年代の風景。
隆家と少納言とか、「伊周の直衣は許せん。」とかあって。
道長邸、「彰子に入内など」と倫子と。
帝が笛を、定子が筝を。道綱も居て?! 隆家が派手に舞ってるとき。
姑・東三条院が来る。史上初の「女院」に対し、甥である伊周が「新しい後宮の理想の姿。」と。 対立…というか、女院を逆なでするなー。
道綱の「石山寺の話し。」に、道長、ひやりとする。で、安堵。
道綱も、話を回したり、繋いだりする役割で、便利に登場してくる…。
「これをサワさんに。」と、まひろは(突っ返されても)文を遣わす。
弘徽殿の火災。高階家への恨みに、中関白家の繁栄がねたまれて。…か。
安倍晴明「今宵、疫神が通る。」 いや、到来して都に疫病蔓延。
帝は「煬帝の悪政の様にはなりとうない。」と言いながら、摂政の息子
伊周が内大臣に。
「父母が悲田院から帰ってこない。」とやって来たタネと共に悲田院に行くまひろ。また無茶な…。既に死んでいる両親、タネもまた。 堪らず看病しだすまひろ。(で、ここ悲田院は、日も落ちたなったみたいな照明の加減ー時間経過を感じたが…。)
道長の奏上-疫病対策の依頼も、隆家、取り合わず。(「飲水病」の隆家、水、飲む飲む。
道長からの話に道隆、「都の様子は俺が見てくる。汚れ仕事は俺の役目だ。」と。 スキあり!貴族たちの口にする「みやこ」が、平安京市中-
今回の場合は、庶民大衆の遇するエリア。を、指していたか疑問。
外から「花の都」などと平安京を一括りに呼び、詠むことはあった。
貴族にとっての「世(の中)」は、せまく(=)「宮中」だった。
彼らが言うなら「まち」を見てこよう。…では。と思いながら、でも
「花」を付けてしまう「都」のイメージと、当時の貴族が「みやこ」と
区別、意味したこと…は違うのかもしれない(のかも)。  
で、ほら、このエピソード、「いっぽう、宮中では(その朝)」とか、
付けてほしいかな、なんか「時間」が大きく戻っているのでしょうかね。
施薬院の陽は傾いて、いや夜とも思える画面に一旦なったような。
道長たちが訪れた施薬院は、まだ日中。 …翌日になってる。のか?と
思ってしまった。
まひろも咳をしだして、罹患しましたね。道長だけが気付いた驚きの再会。
道長が為時邸につれ帰る。「道長である」の名乗り。本当は「三箇夜」の
名乗りをしたかった…道長(なんでしょう)。
「大納言さまに…」と慌てる家族。
道長の「戻ってこい。」愛の力なのでしょう。初期感染「言霊」で治した。
家から「薬」持ってこさせるとかは無かった…みたいだし。
『 源氏物語 』「若菜 下」 8章の「紫の上の絶命」と蘇生の話を取り込んだ…と言う人もいるようですが、紫の上の絶命は「死霊(六条御息所)」
の仕業で、光源氏は御息所の霊と対峙して退治。 二人でみた夢の実現に
「戻って来い」の呼びかけでの蘇生(まで)をー出典とはしないです。

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