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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏 『光る君へ』 20

長徳二年(996年)二月二十四日、 藤原伊周、隆家兄弟、斉信邸前で、
帰出する花山院を矢で射る。 (誰とは知らずー伊周が通う儼子に、
花山院が手を出していると勘違いして。)
家来たちの乱闘。「院の従者2人死ぬ。」
高松殿、母・高階貴子「まだ誰とは知られてない…」って。やらかした事に
どうしよう!と、泣きわめく伊周。
夜中、斉信、道長の所に来て「事件」報告。「伊周、隆家、終わりだな。」(と嬉しそうに。) 
帝前、実資「中宮のお身内のことなので、帝にお伺い。」と。
「殿上人の綱紀粛正の最中に。」と怒り「謹慎」の旨。 
愛妻-定子には「身内に会うべからず。」と。
『枕草子』(の回想)では、父道隆の時から、中宮-登華殿を頻繁に訪れていたり、清涼殿に大甕にいけた桜樹を据えたり、中関白家は宮中を我が物顔に出入りしていた様子。帝はそういうのの度合い過多、嫌だったのだろう。
伊周、隆家、二人、斉信の前。「謹慎」処分を伝えられる。
一方、為時邸、為時の国司任官『淡路守』の祝い。
「これが最後と思って出した申し文、神仏のご加護に相違ない。」と。
の一方、源国盛、いろいろ貢物持って、詮子と道長に礼に。帝の評価した…「申し文は、代筆。漢文は苦手で。」としゃーしゃーと。
『越前守』は、渡来してきた宋人との対応が…。に「困りましたな。いい通訳いませんかね、右大臣さま。」と。
この国盛が、道長にダメと言われて詮子が帝に直接「除目」をお願いした「知らない者」であった。当の詮子もあきれる。二人の前で自身の状況判断も出来ないウツケがバレバレ。
道長「あれは国司には出来ませんな。」で、宋の言葉も解する為時の出番。
の詮子、伊周、隆家兄弟の処分の決まらなさに苛立っている。
為時邸、 宣孝が祝いに来てる。父為時酔い潰れている(演技か…)。
宣孝とまひろが話している画角は、結婚への布石(だろう)。
為時の若かりし日-大学寮の時「宋」に独り渡ろうとした話し。を明かす
宣孝。「独り宋に渡ろうとしたこと」を聞き、まひろ驚く-その血を引いている、と。(為時…実は二人の話を聞いてる。かな)
「父ならお役に立つと思いますのに。」「お伝え申しあげたいものです。」
は、一度会ってるからね、帝と。 理想家のまひろには「不可能」は無い。
宣孝の「まだ機会あるやも。」の言葉で(驚き!の)「偽の申文」を書く。
私なら、帝と通じあえる。って想い。 
(この「機会」も…明治の新語かな、「時間」ほど気にならなかったが。)
この一連の展開、「大石本」すごいなーと。「源氏」学者先生達の…思っても言えない、言いたくても言えない展開を、再現であるかの様に映像化。ー今日の陽のあたらない学者さんたちの歯ぎしりも聞こえてきそうです。
朝から道長、一日、申し文閲覧。 烏がカアカアと夕刻まで。自分独りで。
『古事談』にある-帝が涙して一度決めた任官国を変えたというー素晴らしさの、有名な「申文」『苦学寒夜、紅涙霑襟、除目後朝、蒼天在眼。』が、父思いの「まひろ」の仕業であった!とは、…断言されてはいないでしたが、道長が、昔のまひろの手(文の文字)を見比べるということで、だろうな…となっている。…毎回、繰り出される展開に驚かされる「大石本」…。
自邸で手箱から、まひろの昔の手紙とこの申文の字を比べている…道隆の
背後に倫子。
その倫子が「女院さまはふせっておられます」と。枕元に寄る道長。詮子は「伝えるなと言ったのに」と倫子を𠮟り、道長に「良くできた妻だが、いささか口が軽いな。」と、今後への布石…みたいな言葉。
翌日、帝、道長から為時(署名)の文を見せられる。(『古事談』とは違う経緯。)宋人の処置もあり今の越前には国盛では心元なく。と、為時の淡路から越前守への=任命換えのおうかがい。
またカアカア烏で、夕刻「越前守」任命の通達。
父為時、まひろに、問いただす。「右大臣様のお計らいは、おまええの思い、としか考えられぬ。」と。「二人の関係、自分にはわからぬ、踏み込まぬ。が、知らずには行けない。真のことを。聞かせてほしい」は、父の心の苦しさ、(見事なドラマ)ですね。
「かつて恋い焦がれた。」「二人で逃げようとも。」「されど遠い昔の話。」とまひろ。
土御門邸、倫子、詮の看病。(急に)「悪しき気が漂っておる」「調べよ」と。倫子さんにそのような能力(も)あったのか…。 で、見つかる呪詛の札々、そこここから。
「中宮は私を、伊周は道長を。」と恐れ戦く詮子。(は、詮子の演技とも見えないが、呪符のいつ、どう、という場所や数に、誰の仕業か……。)
倫子、道長に、「私にお任せください、私が収めたい。」と。 自邸での事、邸の主として当然のことでもあるが、先の詮子の「嫁への評」への「挽回の機会」ととらえ(させ)たか…道長、納得。 この辺りが「大石本」の
難しいところ(紫式部の『源氏』にも通じる、どっちにも、どうともとれる文章-物語展開。)
宮中、帝前、実資が「呪詛」のこと。調べた結果、中関白家の面々の仕業であること明白と。加えて、法輪院で帝のみに許される大元法を自ら修したということで謀反にもあたる大犯罪。
…ココで挟まれた 宮中の女房達の「清少納言、裏切り者。」という陰口。
ちょっと…ねぜ、ココで、かわからない。
な状況下、道長に「お目通りお許しありがとうございます。」と伊周。
「弟が矢をはなった罪はかぶる?しかし呪詛はしてない。帝にお伝えしてほしい。」と、内裏に戻れるように嘆願。
「過酷なこと望まぬが、全ては帝がお決めに。」と道長。
帝一人、… 場所は…空っぽの登華殿か…?闇の内に。
定子!「恋しくて来てしまいました。」って。
「なぜ上がれた?」と帝。「右大臣が手引きしてくれました。」と定子。
「兄と弟の罪をかるく…」と泣きながら。しかし無言の帝に、気づいて、
「すぐに。さがります。おすこやかに。」と離れる定子を抱き止める帝。
…ここで会わせておかないと、「脩子内親王」に繋がらないから…の演出か。
帝前、評定で、謀反の大罪-死罪一等減じての流罪
(平安時代、規定には在っても死罪の執行は避けられていた。)
伊周は、太宰府に。 隆家は出雲への配流と決まる。
安倍邸。道長、清明におうかがい。「伊周の呪詛は本当か。」とか。
清明は、過ぎた事に意味はないと、「これからは、あなたさまの世。」と。なおも尋ねる道長に「隆家はやがてお力に。伊周はあなたさま次第。」と。
(歴史の展開-事実を予言。)
定子に会いに来た清少納言に、「そなたの身に何かあっては心配。下がれ。」と。そう、この騒ぎの(肝腎な)頃、清少納言は宮中を出ていた。
心配でしかたない清少納言、まひろと共に検非違使が警護している高松殿
の定子の様子を見に潜入。…って。 
主要人物を事件の目撃者にしておかないと、現代の視聴者の納得-ストーリー展開への理解、賛同、得にくいから…でしょうか。
実資率いる検非違使が、門をつき破って、捕縛に来る。
に居合わせるまひろと清少納言。
隆家は、自ら出頭するが、定子の説得も聞かず、伊周逃げる。
出て来た中宮定子、実資の「中宮をお車に」の隙をついて、捕り方の刀を取って、自ら髪を切る。  
って、ここまでやらないと「ドラマ」にならないのでしょうか。
刀を盗み取って、喉を突くような素振りまで挟んであって、その死に方…
その発想、時代が違う気がする。 定説では「鋏」で髪を切っている定子。
ドラマチックにドラマな大河ドラマです。

さて、『源氏物語』「夕霧」帖で、(故)柏木の妻「落葉宮」をわが物にといよいよ動き出す「夕霧大将」。落葉宮(朱雀院の女二宮)の「一条の邸」を磨き上げて、一日も早く小野の山荘から戻って来るように手筈を整える。
その時の先回りの一つに、宮の周りの女房達に「鋏」を隠させて、万が一にも「髪を下ろす」様な事の無いように。というのが出て来る。
平安時代…「物毎の用途」「用途別用具」の区別がとても厳密であった…と思われる時代の、殊に物に溢れている殿上人・貴族の世界で、咄嗟の事…とはいえ、刀とか、脇差、小刀、で「髪を切る」事で、「髪をおろす」事に充てる…って。ちょっと…。姫様の身近の 鋏、剃刀ならまだしも。である。

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