見出し画像

GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏 『光る君へ』6

NHK 大河ドラマ 『光る君へ』 6回目タイトルは、
「二人の才女」
もちろん(後の)紫式部 と 清少納言。
推定される年齢的にも、活躍の時期的にも、清少納言の方が先を行っていた。 ドラマでのような「出会い」は? あったら(ドラマとして都合好く)おもしろくなるだろう。的なことか。
いや、この時代を描くとなると「紫式部が『源氏物語』をこんな状況下書きました。」という事より、「清少納言が仕えた中宮「定子」の物語」の方が
格段におもしろい…というか、「真実はドラマより…」と劇的なので、うっかりすると『光れ君よー清少納言物語』になってしまいそうかもでの、式部も絡んでますよ。だったのかもしれない。
冒頭、永観二年(984年)と出たが、年表では「10月に花山天皇即位」と。ドラマとは1年のズレ…か。推定されている「紫式部の年齢」はこの年12歳。 やっぱりこういう出会いは無かっただろう。
もう一つ、「年」提示の理由と思われるのは、『蜻蛉日記』の藤原道綱の母のこと。宮廷女房の間で話題になっているその「日記」… 既に世に知られている事の正当化のためであったのかも。「日記」の最終の記述から(上地雄輔)道綱の母が亡くなる20年のちょうど間-真ん中を採ったみたいです。
サブローと会って(自分の気持ちの整理-自覚が出来た)戻ったまひろと父の和解という展開。そこでまひろが言う「女でも役にたてる」は、紫式部という人のキーワードでもあるでしょう。でも、式部は『源氏物語』に、「主の役にたつ、たたない」というような感覚を有する女性は書いてなくて…。
「自分って何…」という考えを深めて行った最後の「浮舟」の受ける「男の誤解」で、プツリと『物語』が終わる。
昔、学校で習った…というより、聞いた『枕草子』は「おかし」の世界『源氏物語』は「あわれなり」の文学。という話し。 散楽の者からの「おかしきことこそめでたけれ」ってワードに、「おかし」と「笑える話」との…どう整理するんだろう…が残った。
第6話、『源氏物語』の流用は、「コレ」「ココ」と言うのは無かったかと。
「漢詩の会」での各貴公子の「詩」どこかからの引用…とか、ウイカ納言の「むしろ元微之」での『元稹』を調べたり…で、もう日曜日=一週間遅れの投稿に。 
紫式部  VS  清少納言 と 白居易と元微之 論とか、『伊勢物語』からの引き歌とか、この「沼」はどんどん深くなってきています。
これからの展開でどうなるのか…ですが、既に(昔から)言われる「紫式部と清少納言の確執」にいろいろ「コレだろう」と言われる「原因」ですが、
「物知り顔が気に食わない」とか「身内を悪く言われたから」というような「原因」での「嫌い」とかでなく、自分の事を「あの人みたい」と、比較(対象に)されたり、一括りにされる事 が「嫌」だったのではないかと思います。そう「創造する人」にある「同一視されたくない」感。もとろん、「嫌い」だからソレと並べるな!となるのですが。
あとは、まひろ、市井を歩くとき、誰からでも「お顔」を視られている-曝して歩いているのはダメでしょう。お供が垂れ衣付の笠を持って付いて歩いているのが余計にバカっぽい。
つきものの「酒宴」を伴わない「漢詩の会」では、人気を得ること難しいでしょう。放映に省かれた…というより、皆さん素面で解散帰宅したようでした。
さて、今夜はどう展開していくでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?