見出し画像

うつつの夢 第9話:真夜中の鬼子母神

あらすじ
リカが結婚して長男を生んですぐの頃、手術をすることになり病院に入院しましたが、その夜息子を取って行こうとする神様のような女性が訪れます。
これはリカ(作者)の実体験をもとに物語にしております。
リカは物心ついた頃から幽霊や妖精、妖怪、神獣と出会います。一方的に何かを語られたり、時には会話をしたり、時には神隠しに遭っていたりと様々です。リカのうつつのような夢話、どうぞお聞きください。

 これはリカが長男を生んだ頃の出来事です。
「すぐに手術しましょう」
 生後五カ月の長男の検診時、医師が息子の鼠径(そけい)部を触診して言いました。いわゆる鼠経(そけい)ヘルニアです。
 ここ数週間、息子が昼夜問わず頻繁に泣き続け、リカは睡眠不足に耐える日々が続きました。赤ちゃんは泣くのが当たり前とは言え、昼夜問わず泣き続けるのには何か原因があるはずです。リカはオムツを替えている時にその原因、息子の体の違和感に気付きました。
「検診に行こうか」
 来月は六カ月検診だったので、物のついでのように息子の違和感を訴えるため、早めに診察を受けることにしました。
「手術ですか? まだ赤ちゃんですけど」
 リカは多少、鼠経(そけい)ヘルニアのことをネットで調べていました。赤ちゃんの場合は自然に治癒することもあると言うので、手術と言われて驚いてしまったのです。
陥頓かんとんしていて緊急を要します」
 陥頓とは、鼠経ヘルニアで飛び出た嚢(のう)状の場所に、腸が挟まったまま動かなくなった状態だそうです。相当痛いうえ、血流が悪くなり、放っておくと腸が壊死してしまうとのことでした。
 リカは急いで入院手続きを取り、明日から二泊三日の手術前検査、翌日手術、翌々日退院の予約を取りました。
 入院は小児外科の病室で、六人部屋の出入り口側のベッドでした。リカの息子以外、みな四、五歳くらいの未就学の男児で、保護者が一人付き添って同じベッドで泊まります。
 入院当日、夫は職場で大掛かりな業務が入ってしまったため休みが取れず、代わりに義父母が見舞いに来てくれました。
 義母は結婚前にこの病院で看護師として勤務していた経験があり、入院準備も的確に準備してくれました。
 義父は賑やかな人で、花見でもする勢いで桜餅二〇個入りの箱を差し入れてきました。
「牡丹餅がみてとった(売り切れた)けえ、桜餅買うた。食べんさい」
 大量の桜餅を受け取りながら、リカは困惑しました。お米のアレルギーが有ったため、餅系のお菓子を極力避けていたからです。しかも食中毒や感染の防止対策から、周囲へお裾分けも出来ません。
 義父母が帰った後、リカは床頭台の引き出しに桜餅を入れて、明日見舞いに来る予定の夫に食べてもらうことにしました。
 午後からは担当医師が挨拶に来たり、看護師が手術前検査の案内に来たりと、忙しく過ごしましたが、トラブルは有りませんでした。
 異変が起きたのは夕食後の事でした。突然、担当医師と看護師がやって来て、病室奥にいた子供をベッドごと移動させたのです。保護者も荷物を持って足早に病室を退室しました。
 病室内に不安が広がる中、すぐに別の医師と看護師がやって来て、状況説明を始めました。そして何故か、リカと息子だけが別室に呼び出されたのです。
 当直の若い医師の説明によると、先ほど退室させた子供が、インフルエンザを発症していたのだそうです。半日一緒に過ごした同室の子供たちは、感染した危険性が高いとのことでした。そのため、発症や重症化を極力抑えるよう、抗ウイルス薬を使用することになったそうです。
 問題は乳児の息子が感染した場合の危険性でした。最初に、生後六カ月未満の乳児が発症し、重症化した場合のリスクを説明されました。そしてほかの子供たち同様の処置を試みることになると説明されました。
 ただし、病院側は抗ウイルス薬の投与に抵抗があるそうで、どんな副作用が懸念されるか、そのリスクを覚悟するように併せて伝えられました。そして締めくくりに、息子の手術自体は緊急性が高いため、抗ウイルス薬を使用するか否かに関わらず、予定通り行うということでした。
「ご了承いただけますか?」
 早い話が抗ウイルス薬を使うか否かは、リカの責任だと言いたいようでした。息子がインフルエンザに感染したかは不明です。また、抗ウイルス薬使用の説明は、あくまでもこの病院の方針です。他の病院がその方針を採るかは分かりません。リカは判断に迷いました。
「とりあえず、義母に電話させてください」
 リカはその場で携帯電話をかけて義母に相談しました。元看護師の義母は冷静に、抗ウイルス薬を断るよう言いました。
「私は孫の強運を信じるよ」
 リカは抱きかかえた息子の顔を眺めました。今は調子が良いのか、とてもあどけない顔で眠っています。リカは義母同様、息子の強運を信じることにしました。
 就寝時間になり、ベッドに横になりましたが、緊張と恐怖で眠れません。息子もヘルニアの痛みがぶり返したのか、ぐずっています。
 どのくらい時間がたったでしょう。抱きかかえていた息子が泣き疲れてしまったのか、痛みが落ち着いたのか、ようやく眠りました。
 リカは枕の下から携帯電話を取り出しました。時間を見ると日付が変わったばかりです。他のベッドの親子の寝息も聞こえるほどの静けさでした。
 その静けさに眠気を誘われかけた時のことです。廊下から微かな神楽鈴の音と共にスーッとした足音が聞こえました。足音は徐々に近づいて来ます。そして、その足音の持ち主が、リカたちのいるベッドのカーテンを静かに開けたのです。
 リカは一瞬見回りの看護師が来たのかと思い上体を起こしましたが、神楽鈴を鳴らす看護師などいるはずありません。
 そこに立ったのは、白装束に身を包み、ストレートショートのボブカットヘアに、一重瞼の切れ長の瞳、鼻筋の通った女性でした。立ち姿はまるで神様のように神々しく、金色に輝いていますが、何故か腕には四、五歳くらいの子供―先ほどインフルエンザ発症で退室した子供を抱えているのです。
 白装束の女性は微笑みながら、リカと目を合わせていましたが、暫くするとリカの隣で眠る息子に視線を移しました。
「あ、あの……」
 リカは白装束の女性に何と声をかけるべきか悩みました。するとその女性がリカに向き直り、戦慄する言葉を放ったのです。
「その子は悪いところだらけだから、持って行こう」
 白装束の女性は息子に近づいて、色白な手を伸ばし息子の体に触れようとします。
「やめて!」
 リカは声にならない声で叫び、息子を我が身で覆いました。いえ、覆いたかったのですが金縛りにあったように体が動きません。
「うち子は悪いとこなんてない。連れて行かないで!」
 リカの叫びも空しく、白装束の女性は息子の体に触れました。触れたというより、女性の手が剣のように息子の胸を貫いたのです。胸を貫かれたにも関わらず、息子は悲鳴も叫びもしませんでした。それどころか穏やかに眠っています。
 暫くすると、女性の手は息子の体から何か靄(もや)のような薄暗いものを掴んで抜け出ました。そして、女性はそのまま後ろへ下がるように、静かに部屋を出て行ったのです。
 リカは息子の魂を奪われたと思い、女性を追いかけたかったのですが、やはり体が動かず後を追うことができません。
「やだ、やだ、助けて!この子を返して!」
 白装束の女性の気配が完全に無くなった頃でしょうか、急に体が解放されました。
 リカは急いで息子を抱きしめました。貫かれた胸を見ましたが特段変化が見えません。しかし息子は目を覚まさないのです。リカの脳裏に、いよいよ息子を奪われる喪失感が高まり、涙がどっと溢れ出ました。
 我が子を包むように抱きながら泣いていると、後ろから突然肩を叩かれました。振り返るとそこには割烹着姿のふっくらとした、いかにも昭和初期のお母さんと言った女性が立っています。
 ストレートの長い髪の毛を後ろで結び、二重(ふたえ)瞼の丸い目をした色白い女性です。白装束の女性とは真逆な女性でしたが、リカはなぜが同一感を覚えました。そのためリカは、割烹着の女性が明らかに人間じゃないことは把握できましたが、白装束の女性ほど怖くありません。それどころか驚きも不審感もなく、むしろ安心感が芽生えたのです。
 割烹着の女性は丸々とした指で床頭台を指したあと、リカを見つめて笑顔で言いました。
「大丈夫。そこに入ってる桜餅を全部食べなさい。そうしたら助かるから」
 リカは急いで桜餅を引き出し、鷲掴みで口の中に詰め込んでいきます。お米アレルギーなど構っていられません。とにかく息子を助けなくてはと、一心不乱に二〇個の桜餅を平らげました。
 リカが呆然としたままながらも、周囲を見回せるくらい気持ちが回復した頃には、割烹着の女性の姿は消えていました。
「ふえ……」
 息子の呼吸音で我に返りました。息子は何事もなかったように少しだけ寝返りをうつと、穏やかな寝息を立て始めました。
(あ、寝返り出来た)
 息子の初めての寝返りと寝息に気が緩んだリカは、いつの間にか意識を失いました。
 翌朝はリカどころか、医師や看護師が首を傾げる奇妙なことが起こりました。午前中に滞りなく病室内の子供たち全ての手術が行われたのですが、肝心のリカの息子だけ手術が中止になったのです。診察室で説明を聞くと、何故か症状が治まって……というより、跡形も無く陥(かん)頓(とん)ヘルニアが消えていたのだそうです。
「今日の午後にはご退院なさって結構です」
 担当医師の言葉に、リカは嬉しい事ながらも納得のいかない複雑な表情を浮かべました。
「ところで、途中で部屋から搬出されたお子さんは大丈夫でしたか?」
 診察室の席を立つ際、担当医師にそう訊くと、担当医師は不思議そうな顔をします。
「……何のことですか?」
 わざとらしく、いかにも本当に知らないと言った口ぶりです。担当医師ですから、知らないなんてことは有り得ません。リカは医師の睨むような目を見て、言わんとするところの意図を察して、それ以上は訊きませんでした。
 一日早く退院手続きをとったリカは、息子を抱いて病院の正面玄関へと向かいました。するとリカは、あの白装束の女性と廊下ですれ違ったのです。
 振り返得るとそこには、有名な女性彫刻家が寄贈した石膏像が有りました。赤ん坊を抱えている、天女のような立ち姿。傍らに穏やかな表情をした子供も連れています。ボブカットに一重瞼の釣り目ですが、白装束の女性の表情は昨夜ほど怖くなく、あの割烹着の女性のような笑顔をしています。
 作品名は「愛心鬼」リカは鬼子母神を連想しました。そして昨夜、白装束の女性が息子から奪ったのは魂ではなく、病巣だったのではないかと思い至りました。そして自分が勘違いをして泣き出したので、安心させるために割烹着の女性に姿を変えて桜餅を食べるように言ったのではないでしょうか……。というのも、売り切れて牡丹餅ではなかったものの、古来より小豆を使ったお菓子は食べると魔除けになるからです。
 リカはひとりで納得して、その像にお辞儀をして病院を後にしました。
 結局その後、息子はインフルエンザを発症せずに済みました。以後、二十年経った今でも無病息災です。
(おわり)

第1話はこちらです。
https://note.com/chouchou_carmine/n/n47db841e0d1a

第2話はこちらです。

第3話はこちらです。

第4話はこちらです。

第5話はこちらです。

第6話はこちらです。

第7話はこちらです。

第8話はこちらです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?