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うつつの夢 第7話:水槽の赤ちゃん

あらすじ
これはリカ(作者)の実体験をもとに物語にしております。
リカは物心ついた頃から幽霊や妖精、妖怪、神獣と出会います。一方的に何かを語られたり、時には会話をしたり、時には神隠しに遭っていたりと様々です。リカのうつつのような夢話、どうぞお聞きください。

 これはリカが三歳の時の出来事です。
 父親に連れられて母の入院先に行きました。母が弟を出産したからです。ただ弟は、へその緒が巻き付いて危篤状態で生まれたため、すぐに保育器で治療を受けることになりました。難産だった母も産後の休養が必要だったので、リカが二人に面会できたのは、出産二週間後のことでした。
 母の病室に行くと、保育器から解放されたばかりの弟が、母の隣で穏やかに眠っていました。父は、愛おしそうに赤ちゃんを撫でながら、母と話を始めました。
 リカは、「赤ちゃん」や「弟」という概念がまだ理解が出来ず、どうして犬や猫ではない生き物を撫でるのかとても不思議でした。リカはしばらく未知の存在を不思議そうに見つめていましたが、母たちの会話にどうしてもついていけず退屈になりました。
 大きなあくびをしながら周囲を見ると、六人部屋の病室は満床です。赤ちゃんをあやしたり、ミルクを飲ませたりする女性や、それを眺めて喜ぶお祖父ちゃんお祖母ちゃんたち、赤ちゃんも見舞いもいないままベッドで静かに横たわっている女性もいます。
 するとリカは、自分と似たように周囲をきょろきょろしている男の子と目が合いました。黒々とした坊ちゃん刈りの髪形に、旅館の朝ご飯についてくる味付け海苔を張り付けたような太眉をした男の子は、リカに気付くとすぐに駆け寄ってきました。そしてリカの耳元でこっそりと言ったのです。
「探検にいこう」
 リカはワクワクしました。知らない建物に来たら絶対にしたくなる建物探検。父母の目を盗んで、リカは男の子と病室を抜け出しました。
 病室を出ると、すぐに長い廊下が左右に続いています。リカと男の子は右の廊下の突き当りに、階下へと続く螺旋状の階段を見つけました。二人は迷うことなく右に走ります。
 リカは螺旋階段の中央側に座り込みました。中央部は吹き抜け状で、階段の手すりの支柱の間隔が、ちょうどリカの頭がすり抜ける程度にあいています。そして各階ごとに踊り場を有しながら、手すりと支柱と踏面(ふみづら)が、まるで合わせ鏡の永久反射のように下へと続いているのです。リカはその螺旋の渦に魂が吸い込まれていく居心地の良さを覚えました。
 男の子はそんなリカを放ったまま、一人でどんどん下へと降りて行きます。ある程度まで降りると階段の中央の隙間から、リカを見上げて手を振ります。リカはそれを見て、急いで男の子の後を追いました。
 どこまで降りていたのかは覚えていませんが、二人はいつの間にか階段を降り切り、窓のない薄暗い廊下に立っていました。目の前にスチール製の大きな扉があります。扉には四角い図のような、形のようなものが書いてありましたが、三歳のリカには読めません。
 扉は少し開いていて、丁度リカの体が普通に入るくらいです。扉の中は先が見えないほどの闇でした。リカはその闇から手招きを受けている感覚に陥り、少し物怖じしました。逆に男の子は怖がるそぶりもなく、悪戯っぽい表情でその扉の隙間に入り込みました。
「こっちだよ」
 男の子は扉の隙間から、文字通り手招きをします。リカがその手を恐る恐る取ると、男の子はリカを力強く引っ張り込みました。
 闇のような入り口と相反して、電気が点いていない部屋はそれほど暗くありません。
 部屋はかなり広く、四方の壁一面にスチール棚が据え付けられており、その棚には水の入った水槽が、棚の隙間を埋めつくすほど置かれていました。  
 男の子は部屋の中心に立って両手を広げ、
「ここ、すごいでしょ」
 まるで自分のおもちゃを自慢しているような言い方です。
 男の子の言葉よりも、リカはその物々しい水槽の数に圧倒されていました。その水槽には魚ではなく、先ほど母の横で見たのと同じ「赤ちゃん」が泳いでいました。よく見ると、妖精の赤ちゃんや妖怪の赤ちゃんも泳いでいます。彼らは水槽の内側から物珍しそうにリカを見つめて笑っています。
 リカは、四方から注がれる視線に身を刺しぬかれたかのように、立ったまま動けなくなりました。
 赤ちゃんたちはジッとリカを見つめながら泳いでいます。時々、水槽に顔や手をこつんこつんとぶつけて、リカを誘っているようです。それは祖父が庭先に置いている水槽の金魚のように泳いでいるだけでしたが、リカには「あそぼう」と誘っているように見えました。
(おなか、すいた)
 どのくらいそのまま立っていたのでしょう。リカは水槽の赤ちゃん意外、何も見るものがないままです。最初はワクワクしていた探検も、動けなくなった今は退屈に逆戻りです。
(あのこ、どこだろう)
 リカはかろうじて動く目を左右に動かして、一緒に探検している男の子を探しました。
 ところが、そこに姿が有りません。彼は部屋を出てしまったのでしょうか。先ほど通り抜けた扉すら、動けないリカにはどこにあるのか確認できないのです。
 突然背後で大きく扉が開く音がしました。それと同時に、大人の足音がリカに近づいて来ます。振り向きたいのに振り向けない。リカは、気配だけで男の人だと確信しました。足音がリカの横を通り過ぎて、奥の棚の前で立ち止まりました。
 お医者さんのような白衣を着た男の人が、静かに水槽を見つめ始めました。
 しばらくすると、白衣の男の人は手に届く水槽の一つを優しく撫でながら何かを呟きました。水槽の赤ちゃんにというより、リカに向かっての呟きだったと思うのですが、幼いリカにはよく理解できませんでした。
 リカはだんだん立ったままでいることに疲れてしまいました。けれども体が動かないのでしゃがむことができません。
「かえりたいよぉ」
 リカが困り果てて泣きながらつぶやくと、白衣の男の人は振り返りました。
「お母さんの所へ帰ろうね」
 白衣の男の人はそう言って、リカを抱えて部屋を出ました。
 気が付くとリカは、母のベッドの横で座っている父に抱えられていました。すぐに顔を上げてあちらこちら、一緒に探検をした男の子を探しましたが見当たりません。しばらく見回しましたが、そのうち誰を探していたのか分からなくなったリカは、またすぐに眠りに落ちました。
 十年くらいしてからでしょうか、あの部屋のスチール扉に書かれていた四角い図のような形が『関係者以外立ち入り禁止』だったということに思い至りました、
「ここにいる赤ちゃんはね、この世に産まれて生きることが許されなかったんだよ」
 白衣の男の人が呟いた言葉の意味も理解できました。それでも、本来なら入ることのできない部屋の扉が、何故開いていたのかは未だに分かりません。閉め忘れるにしては、空気が重い緊張感のある場所だったのです。
「夢でも見たんだよ」
 母はリカの話を聞いてそう言いました。
 その後、リカは結婚して息子を身籠り、母が弟を出産したあの産婦人科を訪れようと思いましたが、既に廃業していました。
 息子が無事に産まれて六年後、息子があの時の男の子にそっくりだと気がつきました。
 けれどリカは、退屈が見せた夢だったと思いながら、今は我が子を愛おしんでいます。
(おわり)

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