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短編小説「for others 私の私は誰のため」第8話

「私の番ね」

加穂子はキューにチョークをキュッキュッとこすりつけると、しなやかな身さばきで台に向かった。台上には3番から9番までのボールが残っている。

「ビリヤードで絶対に負けないコツってなにかわかる?」

「いいえ」

「それはね、一度握った手番は絶対に相手に渡さないこと」

加穂子は背中を向けたまま私にそう言うと、手玉を強くついた。

ガンッ。驚くほど激しい音を立てて飛び出したボールは、真正面から3番に当たり、そのまま3番は飛び出しそうな勢いでポケットに入った。ゴンッ。

「うちに来てもらうにあたり、ひとつだけ条件があるんだけど、いいかな?」

「条件、ですか?」

私は首をかしげる。

「条件っていうか、やってもらいたいこと。入社試験みたいなもの」

加穂子は振り返りもせず、台の向こう側に回り、こっちの方向にある4番に狙いを定める。

ガゴンガゴン。落ちたボールが台の下を巡回する音が重く響く。

「美香ちゃんさ、わがままになるっていうのは、どういうことだと思う?」

「自分の意思をしっかり持つって事ですよね」

「そうね。それもある」

キューにチョークをこすりつけ、腰に手を当てる。

「でも大事なのは、他人を犠牲に出来るかってこと」

「他人を、ですか?」

「そう。人を押しのけて、人を踏み台にして、人から奪ってでも、やりたいことを貫く。それが本当のわがまま力」

加穂子がゆっくりとついた手玉は、4番に薄く当たり、絶妙な角度でポケットに入る。

「私にはよくわからないな。やっぱり先生は強いですね」

「強くないよ。私だって昔は、for othersだったんだから。ただ変わっただけ」

加穂子は、なめるような目線で5番の球を狙う。ガンッ。強い回転がかかったボールは、急激にカーブしたあと、当たりそうになった7番をすれすれに交わし、5番にあたる。オレンジのボールがポケットに吸い込まれる。

加穂子はふたたび台に向かうと、6番のボールを狙った。

「あと4つ」

加穂子の目は青く光っているように見えた。

〈続く〉

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