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ぼくの日常のエッセイ(老婆とおせんぼ)

 バスが停車した。降車口付近に立っていたぼくは、バス後方から降りる客の群れに気づき半歩だけ身を引いた。ぼうっと、流れ降りる集団を目で追いながら、でもすぐに興味など失せてまた視線を画面に戻した。

 運転手がモゴモゴと何かアナウンスしており中々発車しないが、待つことがさほど苦にならない僕は自分の世界に浸り、発車の時を静かに待っていた。

 ふと、右腕に誰かが触れるのを感じる。

 振り返るとそこには、非難するような目つきで僕を睨む若い女性が立っていた。その女性が斜め下に視線を切り、とそこでようやく僕は死角に一回り以上小柄な老婆がいるのを認める。

 老婆はどうやら通路に立つ僕に降車を阻まれ降りることができなかったらしい。だが声を発することはなく俯き加減でじっと僕が気づく時を待っていたようだ。

 「お降りのお客様はもういらっしゃらないでしょうか?ドア、閉めます」

 運転手のアナウンスが聞こえてきたものの、とっさに僕は声を発することができなかった。
 若い女性が運転席に向かって声を張り上げる。

 「まだ1人いらっしゃいます!!」


 ドアの動きが止まる。老婆はその隙にするりと僕の脇を抜け、外に出ていった。僕はそれを、半ば呆気にとられて見送った。

 向き直ると、その若い女性は鋭い目で顔で僕になにかを訴え、だがすぐに顔を戻して携帯に向き直ってしまった。

 脳裏を過ぎる決して愉快ではない言葉が邪魔をして、画面へと戻れない僕。深くは考えないようにしているつもりであるのに、いつの間にか先ほどの状況が頭を埋めている。

 急に風船の空気が抜けたような音がして扉が開いた。気づかぬうちにバスは駅にたどり着いていたようだ。

 消化のできない思考が澱のように僕の頭に鎮座している。それを降車する人の群れが押し流してしまい、僕もまた日常へと紛れてしまった。

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