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創作物に救われる

映画でも音楽でも本でも、瞬間をテーマにした作品が好きだ
「ああ今この瞬間さえあれば生きていけるな」
とか
「あの時、どう頑張ってもダメなんだと気付きました」
とか
「最悪な3年間だったけれど、この時間だけは美しかった」
とか
それって人生だなと思う
私はそういう瞬間の描写に特に心が揺さぶられる

そもそも人生は瞬間の重なりで出来ている
使い古された表現だけれど、人が100人居たら100通りの瞬間の重なり合いがある
それって怖いけれど素敵だ

今までに自分が過ごした瞬間達、つまり経験というものは
人によって時間も場所も内容も何もかもが違う
けれどそのどれもが誰かと少し似ているのだ

だからこそ『あるある』という文化が存在するし、物語において『共感できるかどうか』は重要な要素の1つになる
言葉に出来ないような感情さえ、新しい名前を付けて共有されていく
『瞬間の共有』という行いは日常に溢れている

そういった些細なあるあるや出来事がミルフィーユ状になって人となりが出来上がる
それならば嫌な奴にだって自分に似た要素や共感しあえることがあるんだろうな
「もっと分かり合えたかもしれないのにな」と一瞬過去が惜しくなる

そういえば友人が「嫌いな人でも友達になれたかもしれないと思う」
というようなことを言っていたな
やさしい人だなと感じるだけで終わっていたが、こんな気持ちに近かったのかもしれない

こうして考えを整理しながら過去や今を振り返ると、
当時理解しきれなかったことを再び考えることが出来て楽しい

私は今、良いことや悪いこと、小さなことから大きなことまで気軽に話せる人達に囲まれて暮らしている
逆に、彼等が何でも気楽に話してくれると嬉しいなと心から思う
絵本や詩集のような人生になったなとしみじみ感じる

ただ、今までの悲しみで出来た自分も、怒りに囚われていた自分も、
自分のミルフィーユの中には確かに存在する
私の人となりの一部だ

瞬間がテーマになっている作品は
(自分もそういう時あったな)
(こんなことも起こるんだな)と受け取ると同時に
自然と過去の自分に思いを馳せたりする
本当に辛かった時の自分も抱きしめて愛せるキッカケになるのだ
きっとそれが、瞬間というものに心が揺さぶられる理由だ

その作品がどんな終わりを迎えようと、作品として存在しているだけでかつての自分が救われることもある
創作物が自分を愛す1つの形を与えてくれているのだ

理由を紐解けた途端に
「それならこの先の人生に何があっても大丈夫だ」と漠然と感じた

きっと嬉しさも悲しさも誰かと共有し合って、作品に救われて生きていく

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