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ベルリン8月の壁に恋をした 未発表Essay110枚

「八月の壁」

                    田中長徳

指折り数えるという行為がある。
あたしの幼年時には、あと幾つ寝るとお正月という指折り数えの行為があった。指はカレンダーより信用がおける。鉄道員の指さし確認と同じで自分の時間の進行をまるごと現認しているわけだ。ひとつの指の指折りカウントが一日分だった。それが最近では指折り一本分の時間の経過単位が変わったのである。指ひとつ折ることが1年ではない。あたしの場合、すでに指折り一つは十年なのである。
早朝の佃の寝室でふと目覚めて、右手の指で人生をカウントしてみる。
ベルリンの壁が東西南北を分断したのが1961年だった。たしか8月13日だったな。まだ頭が充分に回らない運動神経で右手の指だけに神経を集中して10年間を指一本として数え始める。
えーと、、、1961年、71年,81年,91年,2001年、、、そして2011年か、、、。
それぞれのデイケードに自分の過去が重なってくる。その私的な年代記を数えていたら  右手の指は全部閉じて、拳固になった。半世紀か。片手で握り込める過去の時間は指五本分だ。これはラッキーナンバーではないのか。
指折り数えるという行為は日にち、月、年が単位だった。それが還暦を経過してから、指一本が10年をジャンプする実用的アカウントになったこと。これがあたしの人生の快事なのだ。我が天国が接近してくると、あたしの過去は10年単位で数えられるようになる。これが実は大したことなのだ。どうも年齢を重ねるというのはそういうことであって、そういう時間の遠近感の透視図というのはこれは二十代、三十代には不可能なことだった。齢四十になった当時、自分の過去時間の透視が出来るのではないかと思ったがやはり無理だった。まだ「時期早尚」であったのだ。足下に累々と広がる過去時間を、ある位置の高みからちょうど鳥瞰図のように望見すること。それは還暦からようやく可能になるようなのである。
壁創立半世紀のベルリンに行こうと思った。ベルリンのドラマの続きが見たいと思った。遂に思い立って、枕元のアイパッドを手にしてアエロフロートの予約画面にした。旅のはじまりである。eチケットをゲットすることだ。それが完了すれば後は飛行機に乗るだけだ。
その前にあたしの過去のベルリンとの時間のパースペクテイブをここで一応確認しておく必要があった。
あたしはもう一度ベッドに仰向けになりアイパッドに以下のように書き付けた。

==あたしとベルリンの壁との時系列メモ==

★1961年8月13日はベルリンが壁によって完全に東西に分断された日。
2011年はちょうど半世紀にあたる。

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