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「視界をクリアに保つ」ということ

 心身に問題のある人がオカルトやスピリチュアルに携わるのを避けたほうがいいのは、高確率で心神摩耗するからなんです。これは界隈ではよく話題に出るものかと思われますが、ではそれなぜか? という話をしてみます。

 まず第一に、オカルトやスピリチュアルに携わる人間はよくも悪くも我が強いから、です。これは魔術とか呪術とかやってる人なんかなおさらです。ところがオカルトやスピリチュアルに携わろうとする人の多くは、どうしようもなくクソな現実世界からの逃避先として利用しようとして入ってくるんです。そういう人らは難しい勉強やしんどい修業はしたくないし面倒な話なんか聞きたくない。せっかく現実から逃げてきたんですからね。 
 結果、これを持つだけで神仏の効験を得られます、とか、これを唱えると神仏との繋がりを得られます、とか、ここにお金を喜捨すると陰徳が、とか、先祖供養が、とかいう類いのことを言う霊感商法詐欺師の財布と化してしまうんですよ。そして後に言うんです。あいつが詐欺師だなんて知らなかった、と。
 
 またあるいは、自分は本を読み修行をしているのだから本物だ、と主張する人もいます。あの人は社会的に知名度があるから本物だと、誰かに感服してしまう人もいます。しかしわたしからしたらどちらも誤りでしかないです。

 行を重ねている「だけ」になりがちな人ほど看板や名刺をほしがります。

 先述しましたが、この界隈、よくも悪くも我の強い人が多いです。ポジティブに捉えるならば軸ができている、と言えるかもです。でもこの軸が必ずしも起立できているとは限りません。歪んでグラグラしている人も珍しくないです。そういう人ほど他者からの肯定をほしがります。

 しかし、そもそも自立するのに難のある人って、とりあえず場に看板を立てたり、あるいはそれっぽい見た目を手に入れたりすることから入ろうとしがちなんです。形から入りたがる、とも言います。実際は看板とか見た目なんかより、まず自分が立つための場の整地から入るのが先なんですよ。家を建てるとき、雑草抜いて、土壌の状態を調べたりするのと同じに。
 土壌によっては水はけ悪いとか作物が実りにくいとか様々あるじゃないですか。そうしたらとりあえず対策として石灰撒いたりして状態を整えますよね。あるいは建屋を建てるために基盤をしっかりつくりこむのではないかと思います。それをしないと湿気がキツくてカビやすくなるとか水害に弱いとか、後から問題出てくるじゃないですか。

 オカルトとかスピリチュアルでもそうなんですよ。本来は逃げ場にするためのものではなく、自身をより強固にしていくためのものであるべきなんです。そのためにはやっぱり自立を可とする軸をつくることから。誰かからの肯定ありきでしかそれが成らないなら、それは依存でしかない。

 ゆえに、オカルトやスピリチュアルに携わろうとするなら、とりあえずはまず最初に畑をつくるため、あるいは強固な建屋を建てるため、土壌の状態を調べ検めること、そこに起立させるための軸を定めるところから始めたほうが良いんです。そのために必要なのが自己と向き合うことなんですよ

 自分はそれに携わることでどうなりたいのか? どうしたいのか? どうあるためにそれが必要なのか? 現状はそれをするに適しているか? 等々

 自身から目を背けているうちは、必然的に周りを正しく見定めることもできません。

視界をクリアに保つ
 それはこの界隈で自身を保つための必須条件です。でないと、周りに有象無象いるよくも悪くも自我の強い人らに圧倒されて行き倒れ必至ですよ。

 誰かと共にあらねば自立できない自分であるうちは、オカルトやスピリチュアルに携わってはいけない。それより有益な資格とか取ってお給料増やしてうまい飯食べてるほうがよほど幸せなはずなんです。


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