北朝鮮の自動車工場:勝利自動車工場
勝利(スンリ)自動車工場の正式名称は勝利自動車連合企業所といい、北朝鮮で最も歴史のある自動車工場である。その母体は1950年11月に設立とされる徳川(トクチョン)自動車工場だ。工場がある徳川市はかつて朝鮮戦争中、兵站基地として中国がいくつか施設を建設していた場所でもある。その市内の、金日成が命名したという標高404mの勝利山(スンリサン)の麓に工場が建設された。
1958年、チェコスロバキアの支援を受け同国初の自動車として勝利58トラックを生産した。このトラックはソ連製GAZ-51トラックのコピーであり、祖国平和統一委員会の公式サイト「わが民族同士」によれば、第1次5カ年計画の遂行に入った時期にわずか40日という間に自力で2.5t級貨物自動車「勝利―58」を製作したらしい。その後勝利58はモデルチェンジを重ねながら生産された。
以降、勝利自動車工場では主に軍向けのトラックの生産が続く。1975年に現在の勝利自動車工場に改名し、その年間生産数は2万台とされた。しかし実際には6000~7000台とも言われ、この数字は1980年代、苦難の行軍で国中が苦しむ1990年代になると更に悪化し1996年に至っては僅か150台のみ生産したという。
初生産時の勝利58トラック(KCTV)
勝利自動車工場は国内で生産された自動車の8割を生産しているといわれ、北朝鮮の自動車産業の柱である。2000年から韓国との合弁会社により新たに稼働が始まった平和自動車工場と比較するとその生産能力は劣るとも言われるが、現在はNC加工機などの自動機械を積極的に導入し近代化を推し進めている。工場は組立職場、精密加工職場、エンジン職場などに分けられているようだ。前述の「わが民族同士」は、「工場は10余の分工場と60余の職場、数千台の設備と1000余名の技術者からなる連合企業所に拡大された。」と宣伝している。
2016年5月の産業設備展示の視察報道において中国のHOWO L2トラックベースの新型5トントラックが登場し、翌年11月には金正恩の勝利自動車工場の現地指導を報じた朝鮮中央通信(KCNA)が公開した画像にて、量産体制に入った5トントラックが大量に写っていた。報道によれば115馬力で朝鮮式トラックと謳われ100%自国製と主張されているが、中国車を組み立てたものということははっきり分かる。なお名称については2017年に平壌で行われたトラックとトラクターの進出式の報道で「勝利」号という呼称が使用されているため、名称はこれで確定していると思われる。
勝利自動車工場の内部(KCNA)
工場内部の設備は近代化されていることがわかる(KCNA)
2017年から生産開始された5トントラック(KCNA)
工場の外観
徳川市の工場は衛星画像で見られる。山の麓にあり、山を挟んで反対側にも関連しているであろう工場がある。座標は39°45'11"N 126°18'04"E 。敷地面積は6万m²。
徳川市の勝利自動車工場(Google Earth)
駅方面のグラウンドは新型5トントラックが並べられた場所(下画像、KCNA)と見られる(Google Earth)
工場に展示された建設(コンソル)ダンプカー(KCNA)
山の反対側にある工場(Google Earth)
生産車種(生産中止含む)
・勝利58/勝利58KAトラック
・勝利61/勝利61NAトラック
・勝利10.10トラック
・チャジュ(自主)トラック
・チャジュ64/チャジュ82トラック
・チャジュ コンセプトモデル(イラストのみ)
・勝利No.2トラック
・新太白(未確認)
・台城湖(未確認)
・太陽(ソンヨン)-82トラック
・詳細不明のトラック二種類
・建設ダンプカー
・錦繍山(クムスサン)ダンプカー
・勝利4.15小型四輪駆動車
・アチムコイ(ソ連製セダンGAZ M20のコピー。実際に生産されたかは不明)
・平壌70(勝利58ベースのバス)
・5トントラック「勝利号」
参考文献
切手で読み解く朝鮮民主主義人民共和国-内藤陽介著(竹内書店新社)
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