見出し画像

ぼくのなかの日本(阪神淡路大震災、第12回)

阪神淡路大震災

1995年1月17日の夜明け前、ぼくは尿意で目を覚ました。起きるのは辛いが、さすがに小5にもなっておねしょはいけないと決心して起床し、トイレに向かった。ああ、眠い、二度寝しなきゃと思っていると、急にめまいがするような気がしてきた。めまいは用を足し終わる頃には収まり、ぼくはスヤスヤと二度寝し、元気いっぱいに家を出た。

集団登校の集合場所につくと、別の学年の男子2人が興奮を抑えきれない様子で騒いでいた。「お前、神戸の映像見た?すげーよな!」「ああ、すげー!家が燃えてたぜ!」家が燃える?災害の知識があまりないぼくだが、地震のことは本で読むなどして少し知っていたし、今朝のあの揺れだ、もしかして大きな地震でもあったのか?

その推測の正しさは、教室に入った瞬間に証明された。担任の先生がいつもより早く来ており、一人ひとりの様子を確認していたからである。全員が揃うと時間を待たずに朝礼が行われ、授業中に揺れたらすぐに隠れるように、状況によっては早めに帰宅させることもあるなどと説明され、そのまま授業に入った。

日本に来て10ヶ月、すでに何の問題もなく授業についていけるようになったぼくだが、その日は上の空だったのを覚えている。席替えでちょうど窓辺になったのもあって、ぼくは空をずっと眺めていた。雨も雪も降らなかったのに、空が固めたコンクリートにような色をしていて、その下に行ったら潰されるかもしれないと思った。その想像に身震いしたぼくは、空の見えない帰国子女クラスの部屋で行われる日本語講習のときに、担当の先生に聞いてみることにした。

普段は田舎の優しいおばあちゃんのような先生は、この日ひどく疲れた様子で帰国子女クラスに現れた。三重にある自宅から名古屋に通っているおばあちゃん先生は、朝の揺れで目を覚まし、本棚が倒れそうになったのを一人で支え続け、体力を使い果たしたと苦笑いしながら言った。だけど思いやりのない子供だったぼくは、彼女の苦闘を労ることが頭に全くなく、ただ自分の疑問と恐れを早く解決したいことで頭がいっぱいだった。

「先生、なんで空は暗いのですか?」

おばあちゃん先生は口を少し開け、なんと答えたらいいのかわからないようすだった。隣にいる向井くんはぼくに同調し、「そうそう、今日は暗いです。なんでですか」と加勢すると、先生はまた苦笑し、そして見えない空に目を凝らしながら、天を指差して言った。

「たくさんの人が、死んだからよ。」

ぼくには、その言葉の意味がよくわからなかった。下級生が登校時に言っていた映像はまた見ていなく、同級生たちは地震のことを話題にしていたが、大半は同じく「すげー」「ひでー」などの意味のない感嘆ばかりだった。担任は朝礼以外に地震のことを一度も話さず、おかげで阪神淡路大震災は、その日の下校まで、ぼくにとって朝の小用を邪魔した揺れと、どんよりとした空でしかなかった。なぜそこに人の生死が絡んでくるのか、さらに聞こうとしたが、おばあちゃん先生はなにやら辛そうな表情をしていて、首を横に2、3度振り、日本語のテキストを開いて講義を始めた。

「神戸の映像」とやらは、その日の夜に見た。父が大学から帰ってきて、久しぶりに家族3人で晩ごはんの食卓を囲んだ。テレビには倒れた橋、スクラップになった車、燃えている家々に瓦礫の上を歩く人々、そして名古屋以上に暗い神戸の街などが、余すところなく映し出されていた。だけど、死者「XX人」の数字が一緒に画面に表示されていても、ぼくにはその映像を生身の人間の生死とつなげることができなかった。おそらく父もそうで、だからこんなことを言った。

「ふん、まだこれくらいしか死んでないのか。」
「ちょっと、何言ってるのよ!子供の前で!」

母に咎められ、父は沈黙した。父の真意は不明だが、日頃のストレスや日本人から受けた差別が暴言となって口をついたのだろう。ぼくもその言葉に違和感を覚えたが、変わり続ける数字を見続けるうちに、やはり「今はどれくらい死んだのか」という気分になり始めていた。数は毎日更新され、無意味な感嘆が同級生の間から消えたあとも、しつこく更新され続けた。いつまでやるんだとうんざりし始めたとき、ぼくは担任の先生に向井くんと一緒に呼ばれた。

「地震はもう落ち着いたようですけど、お二人は大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です。」「ぼくも大丈夫です。」
「それならよかった。今日はですね、帰国子女クラスはなしですので、国語のときは一緒に授業を受けましょう。」
「はい。なんでですか?」
「うん、あのね、『ホウヨウ』ってわかるかな、あの先生はね、今日はホウヨウに行くから来れないんだ。大丈夫、もう国語もできるはずですから。」

ぼくは一応頷いたが、意味がわからなかったので、教室に置かれた国語辞典で調べてみることにした。ページを開き、それと思しき言葉を見つけたとき、どんよりとした空の意味もよくわかった気がしたのを、今でも覚えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?