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上海遊記(芥川龍之介)

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上海遊記
芥川龍之介
岩波書店2017

ああ、芥川龍之介の文章はなんてすごいんだーー

ぼくは読みながら何度も感嘆した。妻にそう伝えると「そうだよね〜」と同意してくれ、母に伝えると「そりゃ大文豪だもん、もしかしたら中国語もあんたより上手いかもよ」となかなかショックなことを言ってくる。うむ、芥川が中国語を話せないのは確かだが、文章を書くこと、それも漢文か詩となれば、本当にぼくよりも流暢で美麗なものを書けると思わせるほど、彼はこの本で中国の古典に関する知識を遺憾なく披露していた。

彼が生きた年代と士族出身の家柄を考えれば、幼少期から中国の古典に親しんだことは容易に想像できる。しかし、どうやら芥川は四書五経や諸子百家を読んだものの、そうした倫理や形而上学的な思弁に興味を抱かず、代わり一般大衆の暮らしぶりを描いた明清の小説に心打たれたようである。だから日本の新聞社の招きで中国を訪れた彼は、上海の街角を歩きながら、そこら中に『金瓶梅』や『品花宝鑑』に登場するどちらかといえば悪役の人物がいると想像し、しかもそのような人物を「豪傑」と呼ぶ。その一方で、王陽明や岳飛のような中国人なら誰もが認める豪傑はどう考えても上海の街なかにはいないと断言する。「現代の支那なるものは、詩文にあるような支那じゃない。猥褻な、残酷な、食い意地の張った、小説にあるような支那である…『文章軌範』や『唐詩選』の外に、支那あるを知らない漢学趣味は、日本でも好い加減に消滅するが好い」というのが、芥川の観察である。

彼が使う「支那」が客観的に考えて差別用語に該当するかどうかはさておき、少なくとも芥川の主観では、当時の中国を見下す気持ちは毛頭なかったとぼくには読める。上の引用で使われた形容詞にポジティブなものは一つもないが、ぼくは義憤に燃えるどころか、むしろ彼の慧眼に感心し、そうした理解を中国人にも示してくれた彼に感謝したい気持ちさえ起きた。それは彼の理解が全面的に正しいからではない。「小説にあるような」中国と詩文にある中国はともに中国であり、恰も井原西鶴の好色物と万葉集のどちらも日本を如実に描いているのと同じだ。どちらか一方をことさら強調するのは公平を失する。ぼくが感謝したいのは、芥川が中国人に対し、自分の小説の登場人物と同様の目を向けてくれたからだ。

ぼくが最初に読んだ芥川作品は『鼻』で、たしか中学2年生のことであった。その次が『蜘蛛の糸』で、両作品は人間の意地悪さと卑しさをぼくに教えてくれた貴重な教材となった。さらに数年後に読んだ『羅生門』『藪の中』などでは、『鼻』の中童子が大人になったらきっとこんなんだろうという人物が大挙登場した。「猥褻な、残酷な、食い意地の張った」のは何も中国だけではなく、芥川が観察し描いた人間全体がそのようなものである。おそらく当時中国の知識人からも見下されていた中国の庶民に対し、芥川は外国人がよく取る「中国人とは」「日本人とは」ではなく、自分自身と同じ「人間」という視点で彼らを眺め、やや辛辣な、しかし温かみを感じさせる筆致で描き出した。そのことは彼が上海の租界地のバーや京劇の女形を楽しんだり、大学者の章炳麟に会うときも全く変わらず、尊敬、侮蔑、同情などよりまず先に、彼は慧眼で自分の描く対象の人間臭さをいち早く見つけ出し、それを読者に伝えていくのだ。

芥川の足元にも及ばないが、ぼくも人間観察を好む性分である。だから、有名無名問わず、人間に対する観察と思考が数行ごとに出現する『上海遊記』は、何のストーリーもないのに読み始めたら止まらないくらい面白く、逆に風物の描写が入る『江南遊記』などは読んでいて眠気を催してしまった。彼自身も書いているように、「私には明媚な山水よりも、人間を見ている方が、どのくらい愉快だか知れないのである」。

しかし、残念と嘆くか、仕方ないと諦観すべきか、あるいは当然だと納得すべきか、芥川のような人を人として見る至極当然な視線は、彼を中国に招待した日本人が遂に持つことに至らなかったものだ。彼に付き添った新聞社の駐在員も、現地で商売をする日本人も、あるいは京劇の解説書を書くほどの「中国通」も、上海の租界のカフェをめぐり、高級中華料理屋で中国人の芸者を呼び、京劇名優の舞台を鑑賞することを「中国での暮らし」と考え、杭州なら西湖、北京なら雍和宮、南京なら秦淮河と、まるで今の中国人観光客が決まって浅草箱根金閣寺に行くかのように有名所をめぐることしか頭にない俗物ばかりである。芥川が裸の目で描いた裸の人間は、彼らにはどうしても「中国」という形容詞がついた人間と映ってしまう。そのことは、今の日本でも変わっておらず、もちろん、中国でも同様である。

ああ、やっぱり芥川龍之介は、なんてすごいんだろう。

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