見出し画像

ぼくのなかの日本(第15回、前ちゃん)

前ちゃん

前の小学校での失敗を繰り返すまいと、ぼくはクラスに少しでも速く溶け込むため、転校初日から仲良くなれそうなターゲットを探していた。仲良くなれるのなら自分の気持を殺しててもいいと思っているが、だからといって誰でもいいというわけにはいかない。スポーツは苦手なので、サッカーや野球やバスケで目立っている子はパス。物静かで誰とも話さないやつも当然だめ。できれば学業の方で目立ち、且つ適度にアクティブで明るい子がいい、もちろん、男子のなかでだ。

転校生がいきなりそんな都合のいい候補を見つけられるわけがないと、ぼく自身思っていたが、なんと初日からこれ以上ないくらいの人が自らぼくに近づいてきたのである。前ちゃんだ。

前ちゃんは学級委員をしていた、この時点で先生からの信頼が篤いという予想外の好条件を備えている。成績もよく、後になって知ったが、通知表オール5が彼のデフォルトだ。そして運命的だとしかいえないことに、彼は卓球部のキャプテンをしていたのである。スポーツが苦手なぼくだが、卓球だけは中国人の当然の教養として子供の頃からやり込み、スポーツマンのおじさんからの手ほどきも受けたりしていた。引っ越してくる前は近所の児童館の卓球大会(といっても参加者6名)で準優勝をしたこともあるーー改めて考えるとあまり頼りになる実績ではないが、部活に入るとすれば卓球しかないと思っていた。そこへ、なんと学級委員にしてキャプテンが直々にぼくを勧誘しに来たのである。

「もしよかったら、放課後卓球部の見学に来ない?中国人はみんな卓球上手でしょ?興味があったら入ってよ。」

ほかにも勧誘があったはずだが、前ちゃんの話を聞いた時点で、ぼくは卓球部に入ることを決めていた。見学してみると部員4人のみというショボい環境だが、そんなことはどうでもいい。ぼくはその場で入部手続きを済ませ、次の日からラケットを持参し練習に合流した。

この選択は大正解だった。前ちゃんは上に列挙した肩書のほかにも、人当たりの良さで男子女子問わず人気という特殊スキルを持っていた。その彼と毎日行動を一緒にし、談笑するのである。特になにも努力することなく、ぼくは前ちゃん経由で自然とクラス中の子と話をすることができ、1年ぶりに学校生活を心から楽しんだ。卓球部の4人ともすっかり仲良くなり、練習後も家に帰らずに、部室で外来語限定のしりとりなどという渋い遊びにうつつを抜かすこともあった。弱小部でも一応大会に出て、何回戦で負けたのかは覚えていないけど、帰りのバスの中でみんな喜んでいたことだけは覚えている。スラムダンクの赤木剛憲なら「お前ら、勝ちたくないのか!」と怒鳴りそうだが、ぼくたちは、少なくともぼくは、「ただ楽しくやりたかっただけ」だったから、心から満足していた。

ただ、ぼくには一つだけ心残りがあった。前ちゃんから近づいてきたとはいえ、ぼくは打算から彼の誘いに応じたのである。仲良くなった今でも、いや、今だからこそ、そのことを後ろ暗く思っていた。チャンスを見つけて打ち明けないと思い、もうそろそろ6年生の終わりも見えてきたとある冬の日、ぼくは卓球部の練習後に部室で前ちゃんに言った。

「あのさ、前ちゃん、ぼくは前の学校で、あんまりいい思いをしなかったんだ。」
「は?どうした?なんでいきなりそんな話?」
「いや、それがどうのこうのじゃなくて、前の学校で失敗したから、こっちでは失敗したくない一心で、人気者に近づこうと思って、前ちゃんに近づいたんだよ。もちろん今は親友だと思ってるけど、ただ、なんか申し訳なくて…」

彼がなんと反応するのか不安でたまらなかったぼくは、目を合わさないように壁を見つめて話していたが、前ちゃんは少し間をおいて、いつものように荷物を片付けながら言った。

「そんなことかよ。あのさ、それくらい気づいているよ。転校してきた日、お前無理していただろう?みんな気づいてるって、バカじゃないんだから。」

ぼくは思わず振り返り、「え?みんな」と聞いた。前ちゃんは顔を上げて、カバンを持ち上げながらぼくに向かって頷き、続けた。

「まあ、みんなってのは言いすぎかな。とにかく、理由まではわからないけど、なんか無理して明るく振る舞ってるなって気はずっとしてたよ。この学校の外国人はお前だけじゃない、隣クラスにグエンっているだろ?あいつはベトナム人だ。あいつの話を聞いてれば、お前も苦労してきたことくらいは想像できるよ。」

ぼくは泣きそうになった。泣いていたら、日本に来てからはじめて、悔しさからではなく、感動から泣いたことになるが、前ちゃんが「早く支度して、鍵閉めるよ」と催促したから、慌てて荷物を持って部室を出ていき、いつもと同じように、二人でふざけ合いながら帰宅した。

2年近くかかってしまったが、前ちゃんのおかげで、ぼくはあの日からようやく不安や不信感、警戒心を解いて、周りと接することができるようになった。前ちゃんとはその後同じ中学校に入り、生徒会や各種委員会でもよく一緒になった。外国人というコンプレックスが消えていないなかでも、隅っこにいることをやめ、自分から様々なことに踏み出せたのは、ひとえに彼がそこにいたからである。少々気持ち悪い言い方になるが、彼がいる環境なら、ぼくは安心して動けるのだ。だから、もし前ちゃんにもう一度会うことができたら、ぼくはこう伝えたいと思う。

前ちゃん、君はぼくにとって日本での最初の親友であり、一生の恩人だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?