見出し画像

祝福(魯迅『彷徨』から)

魯迅 著
竹内好 訳
筑摩書房2009


この凄惨な小説を読んだのは、高校二年生の国語の授業でのことだった。国語教師は50歳前後と思われるおじさんだが、おじさんに似つかわしくない熱血さと気骨を持ち、授業中に「人民代表選投票用紙」をみんなに見せ、つばを飛ばしながらこう言ったことがある。

「全人代の代表を選出しろと、学校からこんな用紙が配られたけれど、ここに書かれてある立候補者が誰なのか、私にはさっぱりわからん。こんな顔も知らない人間のなかから、自分の意見の代弁者を選べというのか?全くふざけている。」

全人代は五年に一度だから、おじさん先生が顔も知らぬ人間に投票させられるのは初めてではないはずだ。となれば、五年ごとに学生に同じ話をしているのだろうか。何度も同じ話を繰り返しながら、ちっとも変わらない現状を、人間精神の育成という重責を担うこの国語教師はどうおもっているのかーー可能であればぜひ母校に戻ってあの先生と語らい合いたいが、今はっきりと断言できるのは、この発言によって、彼がクラス中から50歳のおじさんが通常得られぬ敬意を得たということである。そんな人物に導かれ、スモッグが空を覆いつくさんばかりの空気を持つこの作品を読んだことは、今思えば幸運だとしかいいようがない。

小説のあらすじはこうだ。

祥林嫂(シャンリンそう)は、夫が死去したために姑に売られそうになり、逃げ出して魯家でお手伝いをし、働き者として一目置かれるほどだった。しかし姑に捕まった彼女は、無理やり再婚させられた。やがて息子が生れて、二番目の夫と慎ましくも幸せに暮らしていたが、その夫が病死し、そして最愛の息子が狼に内臓を食べられて死んでしまう。祥林嫂は再び魯家に戻って、働き始める。今度は不浄の女としてのけ者にされるようになった彼女は、自分が死んであの世に行ったら、二人の夫が奪い合うことにより、 体がのこぎりで分割されてしまうことを心配するようになる。その為、彼女は貯めていた全ての工賃を果たいて寺に敷居を寄付し、千人、万人に踏んでもらえば贖罪ができると考えていた。しかし、それでも「祝福」の祭事の日に、不浄と見られたために祭事用の食器を触れさせてもらえなかった。その時から、祥林嫂の精神は完全に崩壊し、最後は乞食となり、大晦日前の「祝福」の日に亡くなるのであった。

悲惨だ、実に悲惨だ。タイトルの「祝福」は普段使われるような意味の他に、「幸福祈願の伝統的な祭祀」の意味を持つ。ほかの人々が祭祀に勤しむ中、主人公の祥林嫂だけが排除され、ついに餓死する。祥林嫂は「祥林の奥さん」という意味であり、彼女は自分自身の名前で語られることさえ叶わず、いわば非人間的な存在として生贄にされたも同然である。そうした因習に囚われた社会の非人間性を批判する側面が、当然この小説の重要なテーマの一つである。高校の国語教科書にはそうかかれてあるし、先生からもそれ以上の見解が示されなかった。

だが、高校時代以来、久しぶりに『祝福』を精読したぼくの心を捉えたのは、息子の死を繰り返し語る祥林嫂の聞き慣れた繰り言や物語の凄惨さではなく、物語の語り手として登場する「私」が何気なく語った次の感想である。

やはり出ていって、明日街に行ったほうがいいのだろう。福興楼のフカヒレの煮込みは、1元で大皿いっぱいだ。安くてうまいが、今は値上げしたのだろうか。昔一緒に遊んだ友人は、今四散したけれど、フカヒレは食べなくちゃいかん。たとえ私一人しかいなくても……いずれにしても、明日ここを離れよう

ここでの「私」は、五年ぶりに故郷に帰ったが、生家がもうないため親戚の叔父の家に居候していた。しかし叔父を含めた親戚や顔見知りは、五年前と比べてどころか、数十年間変わっておらず、昔のままの価値観と慣習のなかで暮らし、変わったのは肉体の老化のみであった。その状態に居心地を悪くした「私」は、「明日ここを離れよう」と決心し、上の感想に浸るのであった。

「読む度に新しい発見があるのが魯迅だ」とよく言われるが、この箇所がまさしくそうだった。高校のとき、誰も気に留めなかったこの心理描写は、研ぎ澄まされた刃の如くぼくに突き刺さった。魯迅と同じ心境が、ぼくにたしかにあったからだ。

コロナ禍で2年以上故郷に帰っていないが、故郷そのものへのノスタルジーはまったくない。むしろコロナ前から、「帰省」という言葉が重石となりつつあり、帰国の航空券を取るのに自分を奮い立たせなければならないほどだった。故郷に帰るのはそこが故郷だからではなく、単に親が今もそこに住んでいるからに過ぎない。それでも、血縁以外で故郷が残した痕跡を無理やり探し出すのなら、まさしく魯迅が書いたように食べ物だということになる。ぼくの地元は「燴麺(ホイメン)」という羊骨スープに幅広麺の郷土料理が有名で、ときどき無性に食べたくなることがある。だが、それも単なる就寝前の妄想だ。故郷がもたらすストレスに思いを致せば、その味のためだけに帰郷することなど、到底ありえないのである。

大文豪と同じ心境になっていたことを確認でき、一瞬だけ喜んだが、すぐにより大きな沈痛を帯びた靄にぼくは沈んだ。数年前からなぜ故郷に帰りたくないのかを考え始め、その度に「でも、もう少し歳を取れば考えも変わるかな」と結論を先送りしていたが、魯迅は残酷にもぼくに冷徹な結論を突きつけたーーいつまでも変わらぬ故郷に疎外感を持つのはお前だけじゃない、すでに100年前から、そうした人間が中国に大勢いた。彼らは結局、ついに本当に全く帰ってこなくなるのだ、と。

もちろん、故郷を離れた若者が帰ってこないのは中国だけの問題ではない。日本でも地方創生だのUターンだのIターンだのと言葉遊びに興じているように、都市と田舎の軋轢は世界中どこでも頭痛の種だ。しかし、そうした政策論争の前提となっているのは、単に生活の利便性の違いなど物質面だけである。精神面では、田舎に溶け込むことの難しさを取り上げる記事がなくはないが、読んでみるとしきたりをあげつらうだけの無価値のものか、現地に溶け込んだ成功事例の紹介に留まっている。これらの記事の執筆者からすれば、都市と田舎の違いは対話と行動によって、わずか数年間で埋めることが可能なものである。考えてみればそうだ、いくら都会と田舎とで違うと言っても、2020年代に生きる日本人は等しく日本で生まれ育ち、等しく近代化を経験し、等しく戦後民主主義の風潮とその流れをくんでいるのだから、違いといっても、同じ日本人の内部に属するものだ。1951年の映画『カルメン故郷に帰る』のように、都市と田舎の違いが戦前と戦後の違い、日本とアメリカの違い、文字通り別世界のような違いを彼らが感じ取ることは、もともと不可能なのである。

だが、魯迅やぼくが感じている疎外感は、そのような生易しいものではない。日本と中国は、いくら同文同種という事実があるとはいえ、少なくとも目下は価値体系を全く異にする国家だ。20代の多感な時期に日本で8年間暮らした魯迅、かれこれ併せて人生の半分近くを日本で送ったぼく。ぼくたちが日本で感じ取ったのは、自分が生まれ育った環境と全く異質な時空であり、異質なものに長年どっぷりと浸かった結果、その色と匂いに否応なく染まった自分だ。中国のいる一部の知り合いがぼくのことを「なんとなく日本人っぽい」と形容し、その度にぼくは「どこが?!」といぶかしがるが、おそらくぼくの体には異質さが染み付いており、彼らは敏感にそれを感じ取ったのだ。異質さは個人の力で消し去ることがもはや不可能なほど深く浸透し、魯迅もぼくも「故郷にいた頃と比べ、決定的に異なる人間になった」ことを前提に、生きていかねばならないのである。『祝福』を読み解く出色の論考を書いた代田智明を引用するなら、ぼくたちの心境はこういうことになる。

「故郷は、なつかしさやうきうきした気分をもたらすものではなく、何の変化や進歩もない沈滞した空間であった。(中略)『私』は故郷にとってもはや『よそ者』でしかない。」

これこそが、より深いレベルの「絶望」につながるのである。ぼくは前回、魯迅が絶望したといっても、書き続けている以上は何らかの希望を持っているはずだと書いた。因習批判、庶民への愛憎入り交じる視線、そこには故郷と故国の人々に寄り添おうする人文主義者の姿があり、その姿でいられることこそ、魯迅が希望を燃やし続けている証なのだとぼくは思った。しかし、『祝福』に出てくる「私」はもはやそうではない。「私」は故郷から距離を取り、祥林嫂のようなもっとも悲惨な民衆からも距離を置き、彼女の餓死に「心が伸びやか」になり、こんな感想を持つのであった。

失意のどん底にある祥林嫂は、人々によって塵芥のなかに捨てられ、飽きられた古ぼけたおもちゃとして、かつては姿形を塵芥にさらしていた。楽しく生きている人から見ると、彼女がなぜ存在しているのか不思議に思うだろうが、いまは死に神によってきれいさっぱり掃除されてしまった。魂の有無は私は知らない。けれどもこの世で生きるすべのない者が生きることをやめ、つまりは見るも厭な者が見えなくなることは、その人にとっても他人にとっても、悪くはないであろう。

この世で生きるすべのない者が生きることをやめ、つまりは見るも厭な者が見えなくなることは、その人にとっても他人にとっても、悪くはないであろう」。祥林嫂の死が、彼女自身と周りの人にとって悪くないことだというのである。なぜこんなことが言えるのか、「私」は冷淡になったのか、それとも現実に屈したのか。いや、そうではない。「私」は知ってしまったのだ、祥林嫂の悲劇は彼女がコミュニティに排除されたがために起きたものであり、その点ではぼくや魯迅と同じだということを。異なるのは、ぼくと魯迅は自らコミュニティに回帰する望みを捨て、外部に逃げることができるのに、祥林嫂は逃げることができず、仕方なくコミュニティに戻ろうとし、結局最後まで叶わなかったことだ。そうなれば、もはや死ぬことでしか、自分を虐げるコミュニティから脱出することができないのである。

ここに至って、魯迅は『狂人日記』で「子供を救え…」と声を上げていた時代からの変化を見せた。救えと叫んだところで、また運良く救われたところで、大多数の庶民にとってその救いはほんの一瞬に過ぎず、次の転落に向けた序曲でしかないことに気づいたからである。「子供を救え…」という声にならぬ叫びは、少なくとも未来への期待を抱くためのものであったが、『祝福』では、祥林嫂の希望の象徴である子供が、狼に内臓を食べられて死ぬという未来を消し去る状態に陥った。だから『狂人日記』を収録した小説集のタイトルが『吶喊』(「叫び」の意)だったのに対し、『祝福』を収録したのは『彷徨』だったのである。魯迅の前には救いようのない国と人々が横たわっており、今や彼は、レトリックのレベルでの絶望を超えて、より深く、脱出不可能なほど、社会の構造に対し絶望したのである。
(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?