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異国から異国へ(日本料理in鄭州)

(非典型的日本1)

「ここが鄭州初の日本料理店か…」

時は2001年、高1の年。1998年に帰国してからというもの、日本料理は母が作った秋刀魚の塩焼きらしきものとツナマヨおにぎりモドキ、父が作った割り下の代わりに豚の角煮用ソースを使ったすき焼き以外に食べたことのないぼくは、鄭州一番の目抜き通りのビルの前に立ち、同行の友人2人と文字通り固唾を飲んだ。ともに日本語クラスの3人は、「日本語をずっと勉強してきたのに日本料理を食べたことがないというのはおかしい!」と屁理屈で親を説得し、日本料理体験予算をそれぞれ申請してきたのである。

今でこそ、北京、上海、深センの物価は東京を軽く超える勢いだが、あの頃はまだ本当にやすかった。鄭州のような人口500万人(当時)の都市でも、高校生のぼくたちは、昼食を学校の食堂で済ませば50円、学校近くの店に行っても80円。約300円のマクドナルドのセットが高く感じられるほどであった。それが、今日は日本料理である。聞くところによると1人800円はするという。なんということか、マクドナルドの2倍以上とは、これはきっと想像を絶する料理が出てくるに違いないと、ぼくたちは期待を胸に、「青雲」というどことなく線香を連想させる店名の看板を眺めた。

2階へ続く階段を上がり、中国らしい両開きの無駄に重たいガラスドアを開け、ぼくたちは恐る恐る店内に入った。100席くらいありそうな店内は、週末の昼時だというのに1/3しか埋まっていない。これは勝手に座ってもいいのだろうかと、入り口で立ちすくんでいると、浅草で買ったような浴衣を着たお姉さんが出迎え、「ラッシー」と言いながら席へ案内してくれた。

分厚いメニューを開くと、一同「おお!」と声が上がった。メニューにはとんかつ、唐揚げ、天ぷら、各種フライと揚げ物の写真が並び、次のページでは生姜焼き、てりやきなど鉄板系が主役を張った。魚は最後に申し訳程度にシシャモと鮭が載り、そしてどれほどめくっても、刺し身は出てこない。それもそのはず、海まで車で10時間はかかるド内陸の鄭州では、魚といえば淡水魚の鯉、鮒、草魚、蓮魚であり、たまに食べる海魚は遥か浙江省から運ばれてくる冷凍タチウオくらいである。果たして生魚はどんな味か気にならないといえば嘘になるが、こちらのほうがマクドナルドの2倍以上という想像にぴったりである。なによりも肉、そして脂、重ければ重い程よく、量は当然大盛り、健全な胃袋を持つ高1男子には、これが一番のごちそうである。

早くも方針を決めたぼくたちは、ここが日本料理店ということを気にせずに、中国の店らしく手を挙げ、大声で店員を呼んだ。案内の浴衣お姉さんではなく、なぜか板前姿の若いお兄さんがやってきて、これまた「ラッシー」と謎の言葉を口走ってから、中国語で注文を取り、帰っていった。

「なあ、さっきから気になってんだけどよ、ラッシーってなんだ?日本語か?」

ヤンくんから質問が上がった。だが、3人とも日本語ができるのに、「ラッシー」の意味がわからないのだ。この中でぼくだけは日本に住んでいたことがあるため、ほかの2人の視線は自ずとぼくに集まる。「なあ、よーく考えてみろよ、ラッシーってなに?聞いたことある?」

中国語の「下痢」と同じ発音の「ラッシー」は、どう考えても料理店の放送禁止用語の一つである。にもかかわらず店員2人ともそれを言ったからには、なにか深い意味があるに違いない。「うーん、うーん」と腕組みしてしばらく唸ったぼくは、期待を裏切るわけには行かないと、絶対おかしいと思いながらも、思いつく限りの答えを言った。

「インドの飲み物…?」
「はあ?なんでインド?日本料理だろ?」
「じゃ、犬の名前?」
「何言ってんのおまえ?」
「違うよな、やっぱ…」

そのときである。シンくんは「わかった!!」と手を叩いた。「ラッシーじゃない、いらっしゃいませを言いたかったんだよ!だから入店したときの人も、注文を取りに来た人もそう言ったんだよ、挨拶なんだよ!」
「いらっしゃいませがどう訛ればラッシーになるんだ?」と、ぼくは疑問を呈す。
「おまえは日本語が上手だからわからないんだよ。オレだって、最初の頃は発音で苦しんでたから、たしかそんな感じの発音をしてた。間違いない、いらっしゃいませだ!」

発音が悪いことを自慢してドヤ顔になるシンくん。そこまで言うならそうだろうとぼくは折れ、ヤンくんも「おお、一理ある!」と納得した。そうこうしているうちに、前菜代わりの唐揚げが運ばれ、とんかつ、天ぷら、ししゃもフライと重いものがどんどん登場しては一瞬で消えていった。味は正直覚えていないが、箸が止まらなかったところからすれば、まずくはなかったのだろう。食べ終わると、ヤンとシンは決まってぼくにさっき食べたものの日本語名を聞いた。メニューにも一応日本語が載っているが、フォントがおかしい上、「トンカツ」が「トソカツ」になっていたり、「サケ」が「サゲ」になっていたりと、それはそれで美味しそうな間違いのオンパレードであった。ぼくは責任をもって正しい言葉を伝え、律儀な二人はそのたびに「おまえよく知ってんな」と感心し、全て食べ終わった後に教えたことを全部忘れ、ぼくを大いにがっかりさせた。

まあいい、今日は勉強しに来たわけじゃない。疾風枯れ葉を巻くごとく料理を平らげたぼくたちは、客が少ないがゆえに通された、外の様子を眼下に一望できる席から、道路を挟んだ向かいにあるステーキファミレスに目をやった。高1の男子は底なしである。まだまだ食べられそうと誰もが思ったが、いかんせん帰りの交通費が危ないので、ここは諦めることにした。道行く人々を眺め、「オレら、日本料理食ったんだぜ。鄭州ではそんなの体験したことある人間は100人もいないんじゃない?」と地方都市ならではの悲しくなる自己満足に浸り、しばし歓談してから、席を立ち店を出ていった。

浴衣のお姉さんは入店時同様、愛想もクソもない表情で「あっしたー」と体育会系的挨拶をし、「今のは聞き取れた、ありがとうございましたって言った」と3人で笑い転げながら階段を降り、目抜き通りに出た。

「さて、どうする?もう帰る?」
「もうちょっとぶらぶらしようぜ。」
「そうだな、どこ行こっか?」

相談し始めるヤンとシン。しかし、ぼくは胸騒ぎを覚えていた。「なあ、ぶらぶらの前にさ、なんか忘れた気がするんだけど」と言うと、ヤンとシンも「おまえもか?オレも!」と同調した。

「3人ともなら、絶対なんかあるよ!ちょっとまって!よく考えてみようよ!」

こうして、目抜き通りのビルの入り口で、高校生男子3人は腕組みをし、一緒に「うーん」と唸っていた。「オレ、思い出せんわ…」とヤンが諦めたその時、上の階から浴衣のお姉さんが血相を変えて降りてきた。

「あの!お客様!会計しました?」
「それだ!!!」

決してわざとではないと平身低頭して謝罪したぼくたちは、一人あたり800円の料金を払い、「なあ、さっきオレたちが店の前にいなかったら、あの人どうするつもりだったんだろうな」と、店の心配をしながら、さっき以上に大笑いしながら帰路についた。ヤンとシンは、「日本料理って揚げ物多いね、まあそこがいいんだけど」と、初体験でとんでもない誤解を植え込まれた。そして、その責任を全面的に負うべき「青雲」は、まさか食い逃げが多すぎたからではないと思うが、2年後に見事閉店し、火鍋の食べ放題に業態を転換した。

そして今、人口1000万都市に成長した鄭州市で、最も評価の高い日本料理店「本心亭」は、一人あたり25000円という驚愕の値段だという。そんな街に、ぼくはもう久しく帰っていない。

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