見出し画像

宍道湖ぐるりの鉄旅(出雲の巻)

半日以上に渡るサンライズ出雲から、「ばたでん」にて、出雲大社前駅。駅舎を出れば、目の前が参道です。

まずは歴史博物館へ

道の向こうには巨大な黒い鳥居、反対側には、さらに巨大な白い鳥居
寄り道しながら、大社へ
平日ですが、かなりの人出 「出雲大社」石柱の前には、写真撮影のため行列

鳥居をこのままくぐらず、大社の右手にある県立の「古代出雲歴史博物館」に立ち寄ります。こじんまりとした博物館を勝手にイメージしてましたが、とんでもなく巨大な博物館。

島根県で間違いなく、一番大きな博物館

玄関に入り、最初に目に留まるのが、こちらの巨大な柱。こちらは2000年に発見されたばかりの本殿に使われていた3本一組の宇豆うず柱。一本でも一人では抱えられない大きさで、樹齢は195年と推定、柱として造られたのは鎌倉時代らしい。

3本合わせた時の直径は3m どんな本殿だったのか… ↑は実物です

さらに同じフロアにある「弥生式土器」に刻まれた絵画。こんな土器初めておめにかかりました。舟をこぐ人、高層神殿、動物…他はよく分からない。

弥生時代(1世紀)の画伯の作品!

続いて、銅戈どうかと勾玉。これらも大社から出土。銅戈は剣のようですが、実際は祭礼用。銅戈は九州から、勾玉の翡翠ひすいは北陸から、ということで盛んな交流を物語ってます。

このふたつも見たことない大きさ

ということでこんなペースで見ていたら、もうここで一日費やしそうな出土品ばかりです、スゴイ!
そして、一体出雲大社の本殿はどんなだったのかということですが、下記のような図面や大きな金具・鉄くぎが残されていたり、平安時代のの口遊くちずさみには雲太うんた和二わに京三きょうさんというフレーズがあり、これは「出雲大社が(一番)太郎、大和東大寺大仏殿が二番、京都平安京大極殿が三番」という高さを表現したものと言われているようです。

よく見ると9つの接点に3本一組の柱が描かれている
古代出雲の神殿模型    階段の途中に人↑

というわけで、こんな神殿だったんじゃないかという。東大寺の大仏殿より高いとなると、高さ四十m以上です。

度肝を抜いた「銅剣」の出土

さて、展示物は数えきれず、もう一つだけ紹介するなら、数多の銅剣の出土。「古事記」内容の1/3は出雲が舞台ですが、それでもかつては、どうせ神話の世界でしょ~という認識が学者の中でも一般的でした。しかしそれを完全に覆したのが、「荒神谷こうじんだに遺跡」の発掘。

こちらに並んでいるのが358本の銅剣 上段はレプリカ、下段は本物
合金のため、錆びてなければ、金色に光っていた

それまで全国で出土された銅剣は約300本、それがこの遺跡から、一挙に358本も発見されてしまった。さらに近隣からは、「銅たく」もわんさか出土。やはり、出雲は一大勢力だったらしいというのが確実になったのでした。

限りない展示品に開いた口が塞がらない…

大陸からの青銅器に始まり、青銅鏡に、長剣、冠や耳飾り、別の展示室には生活史に関わる出土品、出雲風土記など興味をそそるものばかりです。

すべて大陸からの品々
卑弥呼がもらった銅鏡??

境内も周り切れない大きさ

いよいよ、境内から本殿周辺へ。まず驚いたのは、「松の参道」300年以上ものもあるのではないか。

地図で見ても分からない古木の松が多数
倒れそうな松もちらほら
             境内全景  (出雲大社HPより)
銅の鳥居をくぐると最初に拝殿
拝殿の後ろに「本堂」の一角がありますが、こちらは中には入れません
核となる本堂部分はこちら、他の社よりも高く、屋根付きの階段で繋がっています

写真では伝わりませんが、本堂、かなりの大きさですが、昔の大社の本堂は高さも大きさも、こんなものではなく、桁違いということなのか…。

そして、いたるところに、因幡いなばの白兎

稲佐の浜

さてここから妻と娘はゆっくり門前通りで、美味しいもの食べて休憩。こちらはせっかく島根に来たんで、日本海見たい!しかもこのタイミング逃したら、しばらく日本海見れないなぁと思い、一人稲佐の浜へ。

古事記では伊耶佐小浜いざさのおはま

日本の渚百選に選ばれるこの浜はいろんな伝説の宝庫。
まずは、出雲風土記からの国引き神話。この出雲の土地が狭いので、韓半島(新羅)や能登の方から余った土地を引っ張り寄せるという話。

長く続く白浜は「薗の長浜」 遠方にうっすらと佐比賣さひめ山(三瓶さんべい山)
「水木しげるの古代出雲」より

この時に出来たのが、薗の長浜。こういう話は聖書には似たものがないなぁ。
そして、建御雷神たけみかづち建御名方神たけみなかたが対決するのもこの砂浜。タケミナカタはあっさり負けて、諏訪まで退散。この取っ組み合いが相撲の起源と言われています。(天使と相撲を取るという話は聖書にはある!)

ということで、素敵な浜で汐風にあたり、気持ちがいいです~ 新婚さんの撮影にも遭遇

再び、大社の方に戻ります。この道は、10月(神無月:出雲では「神有月」)には、稲佐の浜から八百万の神々が集まって、出雲大社に向かう道です。
途中に大きな日本の国旗が見えるのですが、これがまた巨大。出雲は巨大なものばかり。昔、NHKの深夜の放送終了の時に棚引いていた日の丸は、この日の丸だそうです。

日の丸の大きさはタタミ75畳分 重さ50kg!!

そして、もう一つトリビア的ネタ、参道前のこの老舗旅館「竹野屋旅館」。こちらは、竹内まりやさんの実家だそうで、創業は140年!老舗旅館のお嬢さんということで、ユーミンも呉服屋のお嬢だし、なんか分かりますね。

私財投じてリフォームしたとか… 泊まってみたい!
ということで、語りつくせない出雲大社でした

一畑電車で宍道湖畔を往く

さて、ふたたび、「ばたでん」に乗り込み、向かうは、松江市の「松江しんじ湖温泉駅」終点です。北松江線の始点から終点まで1時間の旅路。

出雲大社前から松江しんじ湖温泉へ (しまね観光ナビHPより)

川跡駅まで戻り、そこから斐伊川の左岸を下って行きます。右手には斐伊川の土手が続き、左手は出雲の山々、心地よい揺れと共に、のどかです。

斐伊川と別れれば、宍道湖が見えてきます

中間地点の「一畑口駅」、こちらはスイッチバックの駅です。さぞかし登っていくのだろうと思っていたら、そうでもない。で、なんでスイッチバックなの?!と。

ホームには「一畑まいり」の石碑

一畑電車の名前の由来と共に、この先には「一畑薬師」があり、戦前まではここから3.3km先の「一畑駅」まで線路が敷かれてました。しかし、太平洋戦争末期で、不要不急路線となり、結局廃線。「一畑駅」が起点になり東西に敷かれていた線路が結局この「一畑口駅」が基点になって、スイッチバックのようになったという経緯でした。

一畑口駅から微妙に伸びた線路が名残でしょうか  google mapより
山あいにあるかつての「一畑駅」wikiより

ここから、ひたすら、宍道湖畔を走ります。観光客の方は当然多いですが、地元の方も多いです。途中から幼稚園の遠足御一行様が乗車して、これまた和気あいあい、にぎやかな車内。

ひたすら穏やかな宍道湖
「秋鹿町」 

ほんと、ほのぼのローカル線ですが、途中駅には「松江フォーゲルパーク駅」とか、「松江イングリッシュガーデン前駅」とか横文字の並ぶ駅が二つ。噂によれば、このフォーゲルパークというところは、国内最大級の花鳥園で、園の入口に足を踏み入れるやいなや、「スゴ~ィイ~」と感嘆の声を上げずにはいられないほど、素晴らしいとのこと。う~ん、次回は必ず来たい!

車内には島根県ゆるきゃら「しまねっこ」鎮座
終点 松江しんじ湖温泉駅

ここから、松江城を経て、玉造温泉を目指します。長い一日、寝台夜行使った特権ですね~(つづく)

この記事が参加している募集

旅のフォトアルバム

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?