宍道湖ぐるりの鉄旅(松江・玉造温泉の巻)
松江しんじこ温泉に到着、出雲大社で買った日本海の焼き鯖寿司を食し、バスで、松江城に向かいます。
やはり国宝だ!「松江城」
日本のお城で現存天守閣12棟あるうちの一つであり、さらにその中で「国宝」となると、五つのうちの一つ。素通りするわけにはいきません。
松江城は1611年(慶長16年)の創建、築城まで5年を費やした。堀尾吉晴が指揮して築城。
大手門から石段を歩くこと数分、二ノ丸を経て、あっという間に本丸へ。
天主閣を支える石垣の入口から入りますが、柱に掲げられた祈禱札のレプリカ。松江城、国宝に指定されたのは、2015年(平成27年)で最も後発。というのも、元々国宝でしたが、戦後に国宝から取り下げられてしまうのでした。理由は本当に江戸初期につくられた証拠がないから。そこで、市民総出で懸賞金までつけて資料を探したところ、神社の資料の中から、慶長16年に天守完成を祝う祈祷のためのこの木札発見!
市の専門職の職員が発見したので、懸賞金は支払われなかった模様。しかし、ボーナスくらいは破格でもらったのか笑
さらに高層の天守閣を支える構造が、階を貫く「通し柱」を多用したり、上部の重量を外側へ分散させる構造にしたりと当時の技術の最先端。これらの技術は、松江城が初で、それ以降の他の天守閣でも見れるという…、大工頭が凄腕だったのではないか。
これらが認められ、見事、国宝に返り咲き👏👏👏
ようやく、5階にたどり着き、松江城下が一望。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の見た日本
松江城から徒歩十分、松江城の北側に抜けます。ここからお堀を周って、小泉八雲のゆかりの地を訪ねます。
八雲旧居に到着。小泉八雲と言えば、「日本をこよなく愛してくれたちょっと変わった西欧人」というイメージ、家にある本も、開かずのまま…。
小泉八雲=ラフカディオ・ハーンはギリシャ生まれ。父はアイルランド人、母はギリシャ人、八雲二歳で、アイルランドに引っ越すも、両親は離婚、父も再婚してインドへ。大叔母に育てられます。十代の時に大きなけがをして、左目を失明。カトリックの学校に通うも、今度は大叔母の家が破産しやむなく、学校を辞め、働くことに…。書ききれないほどの不遇の中、アメリカに渡り、なんとか、記者として、生計を立てるのでした。
ニューオリンズの万博で、初めて日本文化に接し、感動を受け、古事記も読むなど日本への関心が募り、来日したのでした。松江には、縁あって、英語の教師として赴任。
こちらの旧居は小さな武家屋敷の仮屋で5ヶ月しか居なかったのですが、小泉八雲はとても気に入っていたようで、名著「日本の面影」の中で、ここの庭の情景がたっぷりと描かれています。
「日本の庭は花園ではないこと、また日本の庭の美しさを理解するには、石の美しさを理解せねばならないこと」など、八雲の日本庭園論が綴られてます。
この旧居には、三方向に庭があり、それぞれの庭の特徴が「日本の庭」に書かれています。(すべての当時のままとは行きませんが…)
こちらの机は八雲が使っていたもの。脚の部分が異常に長い。随分と背丈が高かったのかと思っていたら、左目の失明と右目も近視のため、眼鏡をかけない八雲は、原稿に目を擦り付けるようにして書いていた。
小泉八雲の「日本の面影」の素晴らしさの一つは、風景描写はさることながら、「日本の音」(生活の中で聞こえてくる音)を書き残してくれていることです。
目覚めは、心臓の鼓動を聞いているような米を搗く、重い杵の音。「大根やい、蕪や~、蕪」と野菜を売り歩く声、柏手を打つ音が聞こえてくる。
この風変りな町をぶらぶらと出かけることにしようか、と、歩けば、目に留まるもの、聞こえる音、嘘か真か分からぬ話などなど、とにかく細かい。本当に明治初期の町に住んでいるような気持になってきます。
夜の情景と音がなんとも、良い!松江の町の一場面をそのまま引用。
ということで、こんな音は聞こえてきませんが、お堀の周りを散歩。ラフカディオハーンがこの松江来たことの幸運。松江に来なければ、また違った日本の姿が記されたのではないかと。
再び城内に戻れば、地上には、合鴨??、上空には、大きなアオサギ!
日が西に傾きはじめ、ここから玉造温泉へ向かいます。宍道湖に沈む夕日は、夕日百選にも選ばれる場所。
勾玉作りの「玉造温泉」
玉造温泉の由緒は、遡れば、奈良時代の「出雲風土記」の玉造温泉のある地域の記載、下記の通り。
さらに枕草子では、「湯はななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯」とあり、その名が京都でも知れていたことが分かるのでした。山陰地方、最古の湯と言っても誰も否定しないことでしょう。
本日のお宿は「湯陣 千代の湯」
さて、肝心のお湯の方は、「ひとたび浴びれば、姿も麗しくなり」ということを1300年前から謳っているので、玉造温泉全面的に「美肌の湯」で推しております。
泉質は無色 透明 微塩味、微硫黄臭、ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物泉(低張性弱アルカリ高温泉)。PH8.4、泉温66℃。入っている時にはそこまで感じないですが、あがった後は、肌ツルツル。しかも、長く続きます。娘評によれば、「肌すべすべ、今まで入った温泉で一番良かった!」と。肌すべすべになる湯は多くありますが、10代のこの意見はなぜか説得力アリ。
内風呂は二つ、露天風呂も二つ、さらに家族風呂もあるので、自家源泉を最大限に活かしてのかけ流しです。
玉造温泉、夜の散歩
夜の散歩といっても、歩いて楽しむ温泉街ではなく、いわゆる共同浴場もありません、ちょっと残念…。ひとまず各旅館拝見というところで。
そして、外湯はないですが、こちらの温泉施設がありました。せっかくなので、こちらに入ってみます。看板には「安来節ショー」!?(ドジョウすくい)
夕飯は素材が活き、朝食はすべて島根県産!
宍道湖のしじみは出てこないのかなと思っていたら、こちらに隠れていました。〆の焼きおにぎり茶漬けの出汁がしじみ。
一夜明け、夕飯は部屋でしたが、朝食の場所は別の場所で頂きます。
朝食は山陰沖のお魚に、地の野菜などなど、全て島根県産!
豆腐鍋の出汁が異常なまでに美味しかったので、聞いてみたところ、なんと、板前さんの企業秘密だそうです!よくお客様に聞かれるとのことでした!!
玉作りの歴史探訪
少し開けた高台の上に、玉作工房跡があります。この地域は日本で唯一「玉」の生産地。この地域を忌部神戸と言い、朝廷の儀式や祭式を行う道具や献上品を作っていた。しかも、この地からの装飾具は関東や北は北海道まで行っており、大和朝廷から散らされたらしい。
身分の象徴で一番めだったのがこの勾玉。一体何を意味していたのかという推論。古代人の心になればわかる!?
小さな展示室ですが、二階には、地元の布志名焼の展示物もあり、綺麗な黄色の焼き物です。ラフカディオ・ハーンに憧れて来日したバーナードリーチや柳宗悦も関心があったとか。
出雲の名前を歴史に押し上げた一つは、この玉造りだったのは間違いないです。
玉造温泉駅へ
タクシーで、駅まで移動。途中横切った300年続く「白石家」という旅館は、中四国でNo1のおもてなし旅館とか。また来たくなるネタを振りまかれました笑
4月から運行している新型の「ブロンズやくも」がお目見え。臨時の試運転の様で、車内はイベント感満載、記者さんの姿も多数。
ということで、次は、「安来」から、かの「足立美術館」を丸一日訪問し、岡山に向かいます!(つづく)
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