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#ちょろけんのメモ エチオピア侵攻とイギリス労働党

ウクライナ侵攻とエチオピア侵攻は似ているのではないか。エチオピア侵攻に対してイギリスの政界がどう反応したか見れば、我々がウクライナ進攻に対してどんな態度を取るべきか考えるうえで参考になるのではないか。特に、労働党の理論家であったハロルド・ラスキの思想は、日本の野党にとって何らかのヒントになるのではないか。そう思ってエチオピア侵攻とイギリス政界について調べ始めたので、これまでの経過を覚書にまとめておこうと思う。

エチオピア侵攻=ウクライナ侵攻?

【共通点】
・大国が小国に対して軍事侵攻する構図は似ている
・国際体制を揺るがす事件である
・イタリアのファシスト政権も、ロシアのプーチン政権も抑圧的

・行末が不透明―ウクライナ侵攻は終わりは見えない。エチオピア侵攻時は、まだベルリン=ローマ枢軸は形成されていなかった

【相違点】
・エチオピア侵攻は局所的、ウクライナ侵攻は食料やエネルギーを通じて全世界に影響を与えている
・↑これに関連して、グローバルサウスの存在感の高まり

・ムッソリーニ=プーチンとしてはいけないのではないか。権威主義的とひとくくりにすると、プーチン政権の素顔を知ることができなくなる。
・停戦への希望を失ってはならない

エチオピア侵攻についての年表

 ヴェルサイユ体制の打破とイタリアの偉大さの実現をめざして、1935年、ファシズム政権はエチオピアに軍事侵攻した。エチオピアには独立国であり、列強の支配が及ばず勢力圏内にもなかったため、実力不足のイタリアにとって可能な侵略先として選ばれたのである。これに対して、国際連盟は実効的な手段を打てなかった。国際世論はエチオピアに同情したが、国際外交ではイタリアを反共の防波堤とみなすイギリス・フランスからの働きかけもあり、事実上イタリアの侵略を追認する結果となった。

1930初 計画の立案

1934 11/23と12/5にエチオピア・イタリア領ソマリアの間で衝突
→侵略の口実となる

1935 
1月 エチオピアが国際連盟に提訴
 仏伊ローマ協定 
*バルカン半島でドイツを牽制するため、イタリアはイギリス・フランスと協調していた

5月 国際連盟、エチオピア・イタリアの仲裁委員会を設ける
→双方に責任なしとする報告を出す、効果なし

7月 エチオピア→アメリカ 不戦条約順守の保障を求める
 国際法に頼る姿勢は現下の共産党に似ている?

10月 イタリア軍、エチオピアに侵攻
 ―近代的装備のイタリア軍に対し、劣った装備・兵員ながらもエチオピア軍は頑強に抵抗した。イタリア軍の残虐な行為は、世界中で非難の声を巻き起こした。

10-11月 国際連盟、イタリアに対する経済制裁を決定
 制裁対象:武器禁輸、信用供与の停止、商品の輸入禁止、軍需物資の禁輸
 石油は制裁対象とならず
*イギリス・フランスは制裁に後ろ向き

12月 ホーア=ラヴァル案:イタリアの侵略の成果を事実上容認する妥協案
 →世論の反発をまねく。イギリスでは外相が野党・労働党に弾劾される

1936
1月 ドイツ軍、ラインラント進駐

5月 イタリア、エチオピア併合

イギリス労働党の姿勢

イギリス労働党は、マクドナルドの「裏切り」によって壊滅的打撃を受けたものの、野党として一致団結し、地道に努力を重ねていた。1931年からの執行部は、党首がランズベリー、副党首がアトリーである。

労働党は、党全体としては国際連盟中心の外交、集団安全保障を掲げていた。しかし、党内には多様な潮流があり、安全保障政策をめぐって執行部と対立していた。
党首ランズベリーら平和主義者―第一次世界大戦以降の厭戦感情を反映
社会主義連盟(党内左派の組織)―帝国主義戦争に反対。ハロルド・ラスキが属する

1935年にはアトリーによって党内に国防委員会が設置され、安全保障の問題を調査研究するようになった

エチオピア侵攻に対する立場の違い
1935年9-10月に開かれた党大会では、イタリアへの経済制裁と挙国政府の進める再軍備政策をめぐって議論が行われた。

党執行部―国際連盟主導の外交、制裁に賛成
党内の平和主義者―制裁は戦争につながる。帝国主義戦争に反対
社会主義連盟―国際連盟は英・仏に利用されている。ゼネストによって戦争と対決

大会の採決では、執行部の提出した決議案が可決され、ランズベリーは辞任した。

☆小笠原氏の整理
この時期のイギリス政治の状況を次の三要素に分ける。わかりやすい整理
①反戦・平和主義
②反ファシズム
③反帝国主義
・ラスキははじめ①②③が均衡していたのが、最終的に②③が前に出てきて「国民皆の戦争」としてナチスを倒そうという立場になる
・チャーチルは②というよりは勢力均衡論からナチスに敵対
・チェンバレンは①が突出したため宥和政策を選んだ
・クリップスは③のみ

追記

結局この研究は止めることにしました。


参考文献

小笠原欣幸『ハロルド・ラスキー政治に挑んだ政治学者―』勁草書房、1987
北村暁夫『イタリア史10講』岩波書店、2019
河合秀和『クレメント・アトリー』中央公論新社、2020
川北稔編『イギリス史』山川出版社、1998
斉藤孝『戦間期国際政治史』岩波書店、2015
教材工房『世界史の窓』(https://www.y-history.net/
本間圭一『イギリス労働党概史』高文研、2021

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