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京王山中湖線の電車を考える回(資料編)

(ヘッダー画像出典:https://m1022000jp.blog.fc2.com/blog-entry-255.html

前回までのあらすじ

京王には山中湖畔まで線路を敷く構想があったといわれている。前回まではM資金の力で無理やり解決したのだが、改めて真面目に考えてみる。というわけで資料をまとめてみた。

・南津電気鉄道の構想を実現させる?

・富士山麓の観光開発と連動させ、資本を調達する?

・史実の京王は戦後に富士山観光に乗り出したが、新事業展開を図るだけの体力があればもっと早く進出していたかもしれない。観光地への足として山中湖線を建設するか?

・戦前に開通するなら車両はこんな感じだろうか

(https://drfc-ob.com/wp/archives/126804)

富士山麓に別荘を持つ富裕層から支援を受ければいいんだろうけど、戦前の京王は路面電車だからそんなものに長時間乗るか?という問題があり、戦後は財閥解体なんかでそれどころではなくなるからなぁ。

うーん、国立線建設の方が簡単だね。じゃ!

〈追記〉橋本~山中湖畔に横浜線と接続する狭軌鉄道を敷き、後に改軌工事を経て京王が乗り入れるというのが妥当なところかもしれない。

資料追加
京王電鉄『京王電鉄50年史』1998
『鉄道ピクトリアル』8月号臨時増刊、2014
村松功『京王電鉄まるごと探検』JTBパブリッシング、2012
多摩の交通と都市形成史研究会『多摩 鉄道とまちづくりのあゆみI』東京市町村自治調査会、1995
多摩の交通と都市形成史研究会『多摩 鉄道とまちづくりのあゆみI I』東京市町村自治調査会、1995
多摩の交通と都市形成史研究会『多摩 鉄道とまちづくりのあゆみ【資料編】』東京市町村自治調査会、1995

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