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好きが止まらない4号  夏の終わりに〜箱のようなもの

今から30年以上も前、8月31日の夜

高校1年生の私は、粉々に砕いた卵の殻を、半ベソをかきながらピンセットで木箱に貼っていました。

高校1年生の夏休み最終日…

キャピキャピも、ピチピチも、ドキドキすらも感じられないこの作業。

ことの発端は8月29日の夕方でした。

「美術の宿題、するの忘れてた!!」

提出する宿題の点検中、忘れていることに気づきました。あと3日…。課題は風景画などの明確な指定はなく、『自分で考えて、何かを創作して提出すること』。自分で考える…さて、逆に困りました。

どうしたものかと思いながら台所に行くと、贈答用のカマボコが入っていた持ち手がついた立派な木箱が目につきました…なるほど、木箱は夏休みの宿題っぽいな。

テーブルの上には、夕ご飯用の茹でた卵がありました。

実は、その前年の自由研究では、妹と生卵を酢漬けにし、殻の溶けていく様子を観察しました。回転して気泡を浮かばせながら卵の殻が溶け始め、数日かけて溶けて無くなり、卵膜だけに覆われた生卵を陽の光に透かして、うっとりと眺めたことを思い出しました。

じゃ、今年も卵の殻をどうにかしますか…。殻に色を塗って、砕いて箱に貼ったらどうだろう?モザイク模様っぽくなるんじゃない!?木箱も自分で作ったことにしたら、手間もかけた風になる。一石二鳥~♪

思いついたら、即行動。茹で卵の殻を粉々にしないように丁寧にむき、カマボコの木箱と共に抱えて自分の机に戻りました。

まず、箱に下絵を鉛筆で書きました。丁度、夏の終わりの夕焼けと夜が交じり合う時間帯だったので、その様子を貼ることにしました。

殻に絵の具で色を塗りました。貼った時にモザイク調になるように、わざと色の濃淡をつけて着色しました。仕上げにニスを塗りました。この日の作業は、そこで終えました。

翌日、私は張り切っていました。
まず、卵の殻を砕いてみました。殻の上に手の平を置き、上から力をかけると砕けますが、サイズが思ったよりも大き過ぎます。なので、砕いた一片に人差し指の腹を押し付け、再度、力を入れてみました。机から少し浮いていた殻は、ミミミ…と割れて平面になりました。この作業が面白くて夢中になりました。気づくと、色を付けた卵の殻は全てほぼ3㎜四方のサイズになっていました。

「まっ、できるでしょ。」

私はボンドを取り出し木箱に塗り、その部分に指で摘まんだ殻を置こうとしました。殻は指先に張り付いて、離れません。仕方がないので、探しだしてきたピンセットで殻をつまんで置きました。

それがその後、4日間延々と続く作業の第1歩になったのでした……。

日が暮れても下絵の4㎝ほどしか埋まりません。初めてのことで要領も悪く、思うようにはかどりません。ボンドを出し過ぎては騒ぎ、思ったところに殻を持っていけないことにギリギリし、指先も痛くなり、目も疲れてきました。砕いた殻はちょっと触れば、下に落ち、それを取ろうとして、また違う殻を触って落とすの繰り返し……。

「なぜ、これに手を出したのか…。」

「なぜ、こんなに卵の殻を細かくしたのか…。」

後悔をしても、他のことに着手する時間も、卵の殻を大きな破片に戻す魔法も持ち合わせておらず…仕方がないので作業を続けました。

最終日、朝から木箱と卵の殻とピンセットとの格闘が再度始まりました。

8月31日の夜、あと10センチ地点までは到達したものの、明日提出には間に合いそうにありません。肩はバキバキ・眼はショボショボ。ただ、完徹をする程のファイトも体力も持ち合わせていなかったので、半泣きでピンセットを握りながら、「もうダメだ…。」と、結局眠りにつきました。

9月1日宿題提出日。魔女ではないか…と学生から噂される個性的芸術家タイプの美術の先生に「卵の殻を全部貼れていないので、作品を提出できません。」と、うなだれながら言いにいきました。先生は『この子は何を言ってるの?』といった顔をしながらも、「じゃ、とにかく9月3日までに仕上げて持ってきなさい」と言いました。猶予期間あと2日…。

学校から帰ると、速攻で、卵の殻をピンセットでつまんで木箱の前に座りました。夏休み明けのテスト勉強も、おやつも全部押しのけて卵の殻をひたすら貼りました。すること2日。

そして、やっとこさ、木箱の表面全面を殻で埋め尽くしました。本当は木箱の壁面にも殻を貼るつもりでしたが、そこまでのエネルギーも時間も残っていませんでした。ただ、仕上がった箱は自分としてはなかなかの会心作で、提出後は手紙等を入れる文箱にしようと思っていました。

9月3日の朝、魔女のもとに、その文箱を持っていきました。魔女は手にとり、「あら、卵の殻って、このことだったのね。そうね〜この箱、周りの木が額に見えるわね。飾った時に外れないように蓋を止めちゃいましょ。」と言い、机上にあったボンドをつかみ、蓋をササッと固定しました。

文箱にしようと思っていた木箱が、箱としての役割を完全に放棄させられた瞬間でした。

その後、これは『モザイク画』として、文化祭で飾られました。見た何人もの友達から、この位置になぜ木の縦棒があるのか、尋ねられました。私は、その度に「だって、もともとカマボコの箱でね。文箱にするつもりだったの。それを魔女がね……。」と声を潜めて説明をする羽目に陥ったのでした。



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↑『ある箱』に入れて保管中の実物を発掘してきました。材料代0円の『卵の殻を張り詰めた箱のようなもの』です。使い道も役割も1年に1回以上使うものでもないのですが、なぜか処分はできず、手元に置いています。




(追記)
先日、実家に帰った時に、ふと、「夏休みの宿題で卵の殻を貼ってたの覚えてる〜?」と母に聞いてみました。
すると、「ちょうど、この前、その話をお父さんとしてたのよ〜!!色んなことをそっちのけで、延々としてて…。で、半べそかきながらも、しようと思ったことにあんだけ集中できるなら、この子は、まっ、大丈夫と思ったのよ〜。」と言われました。

我が子の忘れっぽさや、計画性の無さや、見通しの甘さや、衝動性や、復習テストの点数が散々だったことを心配したのではなく、3㎜の卵の殻を貼り続けていた娘の姿を「まっ、大丈夫」という感情で当時の母が処理していたことが、私にとってもちょっとした発見でした。

母に出来上がったのを見せた時、誉め言葉よりも「早く学校に持って行って提出してらっしゃい。」と言われたことぐらいしか記憶がありません。

ただ、学校から持って帰った時、「お母さん、これ、好きだわ。」と言い、母はしばらく玄関に飾っていました。母にとっても、この『箱のようなもの』は、夏の終わりと紐付いているようです。


#8月31日の夜に

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