気にせず言っちゃえい

思ったこと言わないのは損してるかもって言いたくて書きます。自然な入り方がわかりません。

思いを伝えることに苦手意識があった。
けど、ぶっちゃけたら、ぶっちゃけキャラになって、楽しくなった。

良い子になるため黙る

小学生のとき入ってたスポーツチーム。
厳しくてたくさん怒られた。

だから「怒られないようにしよう」と思った。
指摘されたことには「はい」、
怒られたらとりあえず「すみません」、
責められたら「私が悪かった」と言った。

自分が悪いかどうか、わからなくても納得してなくてもそうやって頑張った。

中学生になったとき、自分でいうのもだけど優秀だった。
成績も良いしスポーツも表彰してもらった。先生はよく褒めてくれた。

ここで「怒られないように、褒められるように生きるのがえらい」という考えが出来上がるのは自然だった。

なにくそ、むかつくんだけど何だよ、
みたいな反抗心を持つことが。持ってしまう自分が。悪いんだと勘違いをした。

でも本当はそれが素で、素の自分が悪すぎて、
出すことが怖くなって、何にも言えなくなっていった。

友達と話すときさえ、とにかく当たり障りないことばかりしゃべっていたと思う。私も話しててもつまらなかったと思うな、友達。

さかい目

高校生になって、私は自分の意思とは裏腹に、体育祭の実行委員になった。
これもなんだろう、断ったら悪いしと思って希望は言えなかったよね。

ある日そのメンバーと帰りにサイゼに入る。

何を話してたか忘れてしまった。
のだが、私はその時、自分のおそらく恋愛に関することをさらりとぽろりと言ってしまった。

いかにも体育祭実行委員の、明るい人気者の女の子たちに向かって。

言った直後は、やったなコレと寒気した。

でもそのあとみんなは一斉に笑った。

本心とか文句とか、存在が空気を壊すものだと思っていた。

それから私たちは仲良くなれた。すごく嬉しかった。

感情出していくのは楽だなア

当たり障りない会話は、文字通り当たり障りがない。あまり楽しくなかった。自分が話しているのに他人ごとになってしまうし進展もない。

だれかと話すときはリアクションが大事。質問を聞き返して、そこから盛り上がったりするから楽しいんだということ。脱線が楽しいってこと。

わかってたけどたどり着けなかったいろんなことに気づけた。

考えて話してない。口からするする出てくるから、まず自分が楽だ。だから構えて話していないし、フランクに話せる。

相槌リアクションも自然。返しの質問も自動的にできる。そうやってする脱線は本当に楽しいしうれしい。いっちゃったもん勝ちなところがあると思う。

言ってる内容あんまり聞いてない説

これいったらいままでの話の意味がなくなるかもだけどもう言ってしまおう。

ぶっちゃけていようが、いまいが、人ってそんなに話の内容を聞いていない。語弊がある言い方にはなってしまうんだろうけども。

補足しとくと、聞いているんだけど、そこまで内容を本気でとらえいないというか

それよりも、その人がどうやって話しているのか、どういう人柄なのかというのを、見て判断している。

もちろん内容に面白がってくれる人がいて、場が盛り上がるのも嬉しいけれど、雰囲気が楽しかったらなんでもいいじゃない。

私は自分が生き生きと話せるようになったことが一番良かったと思っている。

まとめ

元も子もないまとめだけど、「イキイキしてて、元気なこと」これに尽きるのかなと思う。

自分の思っていること正直に言わないのは損してるかもよといったけれど、

殻に閉じこもっているときに、心から楽しめることは少ない。もったいないことだと思う。

殻をこわすための手段として本音を出すことがあるのだと思う。

手段の一つでしかないけれど、
自分を出すことがそのままイコールで
でしゃばりすぎることにはならないから、

楽しく生きるために実りのある人生のために
私は本音を出してくことにする

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