言いたいことなど、無くてもいい
僕は自分のことを「主張のないアーティスト」だと思ってる。
アーティストとして主張が無いのは致命的だとも思われがちだけど、人間としてかなり主張(言いたいこと)があるので、その辺のバランスは今のところ取れているようだ。
昔ライブに来てくれたお客さんにこんなことを言われた。
「言いたいことがあってこそのアーティスト(歌い手)でしょ」
これは今でも「違う」と思う。
何をアーティストとするかは、みんなが決めればいい。「僕には言いたいことはありません」と活動している僕のようなアーティストをそれでも「アーティスト」と認めてくれる人がいるのならば、それで立派なアーティストだ。
ああでなきゃ。
こうでなきゃ。
と四角四面に決められた枠の中での活動なんて、息苦しくない??
歌い手にとっての主張とは「歌にして言いたいこと」ということになるのかな。僕は歌にするほど言いたいことがあって歌っているのではなく、むしろ言いたいことが無いから歌っているんだと思う。歌(音楽)で伝えられることって言葉だけじゃないと思うし。
そうは言っても、自分の思考や思想は自作詞のところどころに顔を出す。選ぶ言葉一つとっても、自分の経験や思いが反映されることが多々あるからね。
それでも自分を「主張のないアーティスト」と言い切るのは、曲作りにおいて何を大事にしているか・・・が関係してくるのだと思う。
僕が曲作りにおいて最も大事にしている部分は「響き」だ。
コードの響き
歌声とギターの響き
メロディの響き
ことばの響き
だから、「何を言うか」という主張の部分の順位はわりと後の方になる。そこが、「アーティストは主張だ」という人との違いなんだろうな。この違いはわざわざ埋めるほどのことでも、ケンカするほどのことでもなく、ただ”違う”という事実があるだけ。感覚や価値観の違いだからお互いに認め合えばいい。
タイトルを「言いたいことなど、無くてもいい」と”も”を入れたのは、言いたいことがあってもいいし、言いたいことが無くてもいいじゃん?という思いから。むしろ、歌にするほど言いたいことがあるっていいなと思う。僕にはそういう感情が沸かないからうらやましい。
こう書くと、詞や言葉をないがしろにしていると思われがちだけど、それは全く違う。僕は曲作りにおいて作詞の部分にものすごく時間と神経を使う。詞だけできなくて何十年も寝かせている曲が山ほどある。それほど「どんな言葉をどのタイミングで使うか」には慎重だ。選んだ言葉が自分の言いたいことではない、というだけだ。そしてそれが僕のスタイルだと思ってる。
僕はたいてい言いたいことはすぐに言うし、Twitter、note、Blogといった発信ツールで発信してきた。だから時間をかけて歌にするまでに「言いたい!」という感情を取っておけないんだ。
こういう”アーティストの信条や姿勢”みたいなものは、ちゃんと発信していかないと伝わらないよね。自分の音楽活動の「何に」重きを置いているかをきちんと発信していく。それも音楽活動だと思った。
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