空気を読んでちゃ変化は起きない
今の自分に最も言いたい言葉。
空気を読んでちゃ変化は起きない
空気を読むスキルは大切だ。人を不愉快にさせないためにも。
しかし、世間体や親の手前、周囲への見栄、そのようなレベルで空気を読んでいると、求める人生への遠回りというだけでなく、自分という「らしさ」は失われていくいっぽうだ。まさに”自失”だ。
他人の顔色を伺ってその場の空気に流されるのは、実はただの保身であって「誰かの為に」といった高尚な理由なんて無い。と最近悟った。
恥ずかしい話、僕は自分のことになると覚悟が持てないことが多い。他人の夢や目標はいくらでも応援できるのに、いざ自分が人生を変えるような選択をする段階になると尻込みしてしまう。空気を読み過ぎてしまうからだ。
相手の気持ちを損ねるより、自分が不満を飲み込んだ方が得策だろうと考えてしまっていた。周囲への優しさからではなく、自分可愛さの為だ。
誰にも「空気を読め」と言われていないのに
空気を読むのは美徳でも何でもない
というとクレームが来そうだけど、「空気を読むのが当たり前」で育ってきた僕らには ”空気は読むべし” という不文律がある。たしかに、読まなきゃいけない空気もある。それに関しては僕自身も納得してる。
しかし、僕らの毎日は「空気を読め」と言われないのに勝手に読んでいるケースがほとんどだ。勝手に読んでいるからイザコザが起きないともいえるけど、勝手に読んでいるから自分を失っているとも言える。そして自分を失う回数の方が圧倒的に多い。
自失しないためには、
ここは空気を読んでいる場合ではない
という肌感を養うしかないと思う。いきなり”常識を破れ”は無理があるし、呼吸するように空気を読む僕らに、急激な変化は難しい。
少しずつ少しずつ、空気を感じ取った瞬間に選択肢を持てるようにしよう。周囲に迎合していた ”当たり前” に抗うために。
この空気に流されるべきか、それとも流されざるべきか
そんなことを考えながら過ごすと、日々がピリリとする。人生は選択の連続だ。
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