誰のための教育?
子どもから学校の話を聞くと、
「んっ!?これって何かおかしくない??」
「なんでここまで学校に決められなきゃいけないの??」
と感じることはありませんか?
学校のきまり、校則、学習規律etc···
もちろん大切なものもありますが、“それって本当に必要??”と思うものも多いのでは?
kyttm21さんの記事を読み、私も共感することが多かったので、自分なりに考えてみた。
1. 2種類のきまり
私はきまりには大きく分けて2種類のきまりがあると感じている。
それは、何かと言うと、
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①子どものためのきまり
②子どもを指導しやすくするためのきまり
の2種類だ。
①は必要なものなので、子ども達も指導された際に納得することができる。
例えば、
・廊下は走らない
→みんなが走ると危険で危ないから
→みんなの安全を守るため
・時間を守って行動する
→みんなを待たせてしまう
(みんなの時間を奪う迷惑な行為)
→社会に出た時にも必要なこと
など。
では②はというと、正直私は指導しながらも苦しさを感じることが多い。
(別にそこまで学校で決めずに家庭の判断でいいんじゃないか??)
(このきまりって何であるんだろう??本当に子ども達のためのものか??)
ここに関しては子どもも反論してくる。
(そりゃそうだろうと心の中では思っていることが多い···)
例えば、kyttm21さんが記事にしていたSNSの利用に関してのきまり。
きっと多くの学校で“やらないように”とか“SNSは危険”だということを呼びかけているのではないかと思う。
特にSNS上に顔写真や動画をアップしたのがわかれば、その子を呼んで指導し、保護者にも連絡をして注意喚起を促す。
確かに事件に巻き込まれている人もいるので、どこまでがよくて、どこまでが危険なのかという判断は子どもには難しいと思う。
だからこそ、早いうちから“正しい使い方”を指導する必要が私もあると思う。
使い方さえわかれば、新しいことや楽しいことに関しては好奇心旺盛な子ども達なので、大人よりも上手く使いこなせるようになるかもしれないし、個人的にはどんどん使いこなして、子ども達もコンテンツをアップして稼ぐ時代が来てもいいのではないかと思っている。
子どもの可能性には計り知れないものがある。
また、学校にあるパソコンのフィルタリング制度。
これに対しては“SNSからの危険を守るために配慮していますよ”という学校側のアピールにしか感じない。
なぜかというと、子ども達が調べ学習をしていて参考にしようとする画像や動画がことごとく見られないからだ。
「フィルタリングで調べ学習が思うようにできない」ということを伝えても「外すことができないとの返答だった。」
何かと不便で仕方がない。
まだまだあげるときりがないが、だんだん否定的な言葉が多くなってきてしまったので、この辺でやめておこうと思う。
2. 子どもたちのためにすべきこと
じゃあ、どうすれば良いのかというと、
それは、
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“親が正しいことを教えてあげる”
ということだ。
当たり前のように思うことではあるが、これが今の時代は難しいように感じる。
核家族化になったことに加えて、共働きの家が多くなり、子ども一人で過ごす時間が長い家庭が増えてきた。
仕事から戻ると家事に追われたり、疲労困ぱいの状態で子どもと接する時間がなかなか取れない人が本当に多い。
今の学校教育のシステムでは、時代の流れに対応する柔軟さは見込めなさそう。
新しいことに否定的で、新しいことを始めるための検討時間がかかりすぎるからだ。
だからこそ親が正しい知識や情報を持って判断し、それを子どもに伝える。
そんな力が今こそ必要になっているのだと思う。
ただし、自分の子どもだからと言って、親の考え方を押し付けるのは絶対にダメ!
子どもは親の所有物ではないのだから。
一人の“人”としてしっかりと向き合い、子どもの考えを尊重しながら話をすることがコツだ。
そして、親が教えてくれたことをもとに、子ども自身にどうしたらよいのか、どうしたいのかの判断をさせることがとても大切である。
3.終わりに
今まさにnoteを使って有意義な時間を過ごしている私たち。
SNSの正しい使い方、充実した生活を送るためのコツをぜひ子ども達に教え、いつの日か子ども達がSNSを使いこなす時代(教育システム)になるといいなと思う。
36歳から始めたスペイン語。新しいことを始めるのに遅すぎることはない!強いマインドがあれば大丈夫! 私はここで日本と世界との情報を共有すること、また、自分の経験を通して一人でも多くの人に学ぶことの楽しさを伝えていきたいと思っております。 よろしければぜひサポートをお願いします。