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終わらない雨音と、コトバと、過ごす日

梅雨明けとしか思えない、空の向こうまで爽やかな空気の流れが感じられるような日々のあと・・・雨が戻ってきた。

六月のまっ只中のこの「梅雨」が、イコール「五月雨(さみだれ)」だということを、初めて知った。

 陰暦5月に降る長雨を五月雨と言います。梅雨のことです。
 「雲暗き」、「雲に雲添ふ」、「雲埋む軒端の山」の空から、「いつ晴れむ限りも知らず」、五月雨が降り続けます。
 「雨雲」の「重なる雲」で、「曇りふたがる」日々は、「雨しめり」で「心も晴れぬ」思いです。

冷泉貴実子「四季の言の葉」より

「さみだれ」という優しい言葉の響きは、この頃、続々と到来する梅雨前線による豪雨と、どうしても結びつかない。けれど、昔、雨樋もなかった頃の「五月雨」が「軒より落つる滝」や「所々に滝落つる」と言い表されたという。イメージ刷新(笑)!


ところで・・・、悩みを打ち明けたい。

梅雨の雨音のように、意味のない言葉が、頭の中、心の中でひっきりなしに鳴り続けることがある。

それを振り払おうとしても、駄目。

自分にとってその言葉自体は、何の色彩も無く、感情に働きかけることも無い単語なのだが・・・なぜか一旦「取り憑く」と離れてくれない。

例えば、昨今のニュースで耳にする「プリ〇〇○氏」や「ワ〇〇ル」といった単語。朝ご飯を食べていても、歯磨きをしていても、リフレインが止まらない。

コトバが「音」になって、わたしに巣食い、悪さをしてるの?・・・壊れたオルゴールの可笑しなメロディーが、ずっと鳴り続けるように?

それが、他人に聞こえる音となって、私の口が喋り始めたりしていないのが、まだしもの救いだけれど。

そして、まだまだ・・・雨はやみそうにない。梅雨は明けそうにない。

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