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ぜんぜん違う ふたり

ふたりの子育てを通じて、まず最初に身をもって実感し驚いたのが、「持って生まれた性格の違いって、本当にあるんだ!」ということ。


例えば、お絵描き。同じ24色のクレヨンを用意しても描く絵が…違いすぎる!お兄ちゃんは、なぜか黒とか青の一色しか使わない。車などの乗り物の絵ばかり、(たぶん)細部にこだわりながら(一見、どれも同じに見えたりする)、幾つもいくつも、黙々と描いて画用紙を埋めていく。

一方、妹の描く絵は、真逆と言ってもいいくらい・・・。ストーリーが浮かぶようなそれなりの表情をつけて、家族など「人」を描く。その洋服などに、クレヨンの色揃えを目一杯生かしてとっても鮮かで綺麗・・・。

色彩・人物・ものーー同じ家庭空間に囲まれ育っているのに、一体この違いは何なのだろう?


音楽についての感性もそうだ。

家で、母が家事をしながらかけているCDの音楽、観る子ども向けテレビやビデオの類も、ふたりにそう違いはなかった筈だけど・・・

ピアノ教室に行き始めてしばらく経ち、簡単な「曲」に取り組むようになると、明らかにふたりの弾き方は違った。

お兄ちゃんは、とにかくテンポを守りコツコツ・・一音一音を丁寧に弾き通す感じ。

妹は、もう・・・表わしたい感情、曲想が全身から溢れんばかり!それが幼い顔の表情や身体の揺らぎにも出るものだから・・・一見、大ピアニスト!あるいは、女優さんのような迫力さえ漂わせる。


ふたりは先生のご事情で別々のピアノの先生に習っていたのだが、それぞれの子どもと先生の個性どうしが、有難いことに見事に適合していたように思う。

お兄ちゃんの先生は、鍵盤に向かう以前に、全身の脱力を促すリズム体操やら、テーブルの上でのタッピング練習などに時間をかけた。それがまた側で見ていてもとても楽しそうで・・・。お兄ちゃんはおかげで、ピアノ教室にはまるで「遊びに行く」ような感じで、毎週のレッスンを楽しみにしていた。ピアノとは楽しいものという意識が、彼にしっかり根付いた。また、そのような先生の地道なご指導によって、正しい手指の形が身につき、指自体も鍛えられたのだろう…彼は本当に無理のない美しい音が出せるようになり、大きな財産となった。

一方、妹の先生は、妹の表現したいという欲求や内面のエネルギーをうまく受け止め、昇華させてくれた。例えば、新しい曲に取り組む際は、「この曲の情景を絵に描いてきてみてね。」と宿題を出したり、「この曲はどんな〈色〉だと思う?」と彼女に尋ねたりした。

こんな先生方との出会いも大きく、ふたりはそれぞれにピアノが、そして音楽が、おそらく生涯の友になった。


成長するふたりの子どもたちを見ながら、個性というものに対する畏敬と興味をリアルに感じさせてもらったが・・・私自身の個性って何なんだろう、なんて、今頃になっても答えられないでいることが可笑しい。



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かりん
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