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第2の父母と、空を泳いだくじらとの出会いが、今を繋げてくれた

こんにちは、POOLOJOB受講生のChisatoです。

先日ふと、35年の私の人生を振り返ってみた。
すると、「自分はこんなにも旅が好きなんだ」と、改めて思う。国内45都道府県をまわり、年内には制覇しようと計画中。海外はまだ5カ国しかまわっていないが、もっと知らない場所に行ってみたい、と考えるだけでわくわくする。

ある日、「そもそもなぜ旅が好きなんだろう」と疑問を持った。そしてもし、旅が私の人生に存在していなかったら?とふつふつと頭の中をめぐった。すると思い当たる節が2つあるので、それを紹介しようと思う。


旅がしたい、そう思うようになった原体験

1)福岡で出会った幼馴染たちとその家族

私の原体験は、福岡での幼少期の経験が、全て今に繋がっている。その1つめとして、幼稚園生のときに出会った幼馴染たちとその家族の影響だ。

私は親が転勤族だった関係で、愛知で生まれ3年経った後、福岡へ引っ越し、4年間をそこで過ごした。ちょうど幼稚園の年中クラスに入るタイミングで、性格はお転婆娘という言葉が非常に似合う、活発な子どもだった。

だいぶやんちゃなパワフルガールだった私

(走り回って誰かとぶつかったり、ブランコを立ち乗りしてどこまでジャンプできるかを競いあい、先生に怒られた回数は何度もある)

しかし、ここでの出会いが大人になった今、旅がしたいと思わせてくれる、きっかけをつくったのだ。

当時、幼稚園のPTAに母は入っていて、そこで私と同年代の子どもを持つ親御さんAとBに出会う。(Bには、私の姉と同年代の息子もいることを後から知る)

また、私の1つ上と下に子どもを持つCとも出会い、この偶然にもPTAで集まった4人は年齢も近く、同じ年頃の子どもを持つ親として、意気投合した。

そしてある日、Aの家で夜宴会をすることになり、我が家も含め全4家族が集合した。ちなみに私とAの子どもとは、同じクラスだったが、関わりはなかった。なぜなら外で遊ぶの好きな私と、中で遊ぶのが好きなその子とは、認識すらしていなかったから。

Aの家庭は、料理を振る舞っておもてなしをするのが好きな人たちで、釣ってきた魚と魚屋で調達してきた貝類を捌き、大量の刺身と手巻き寿司をご馳走してくれた。

2023年夏に遊びに行ったときの夕飯、野菜は自家畑で採れたものを使用。鴨肉以外は全て手作り

私を含めた子ども8人は、庭でハスキー犬と遊び、ソファーの上でカラオケ大会をし、Aの家の風呂に入り、疲れたからここで寝ると駄々をこね、急遽泊めてもらった。

どうやら宴の席で、「今度どっか全員で出かけようよ」という提案が出たらしい。そして翌週、車で約30分ほどの距離にある志賀島で、デイキャンプをした。

大きめのテントを3つ張り、BBQのために火を起こし、子どもたちはシュノーケルやゴーグルをつけて海で遊んだ。

(まだ朝の9:00だぞ)

一日中海で遊び、モリで獲った魚やタコを焼き、買ってきた肉を食べ、また遊ぶ。2週間後には、そこに全員で泊まり、さらにその夏は、ほぼ毎週末同じ場所で日帰りか泊まるかを繰り返した。

(子どもの体力も凄いが、親のバイタリティを改めて尊敬している)

この4家族で秋になれば芋掘りや山登りをし、その年の冬には、佐賀にある牡蠣小屋を訪れ、無我夢中で頬張った。よくよく思えば、当時4歳前後の子どもが工具のドライバーで殻を開けてるのは、器用だと我ながら感心している。

次第にイベントごとに集まることが習慣化された。
例えばいちご狩り、お花見、川遊び、誰かの誕生日。ついにはイベントがなくても私たち子どもは、持ち回り状態で誰かの家に泊まることが増え、「次はどこに泊まろうか」と考えるのが当たり前になった。

こういった体験が、旅の駆け出しだったのかもしれない。

そしてこの4家族で鹿児島や熊本へ1泊2日の旅行にも行った。行く手段はもちろん車。

行く先々のサービスエリアでご飯を食べた。その地域の特産品を母親たちが楽しそうに購入しているのを横で見ていたし、いろんなことを教えてもらった。だから私は地理が得意科目になったのだと思う。

唐船峡の流しそうめんをみんなで食べたとき
この顔はめパネルは今でもあるのかな?

私は大阪へ引っ越した後も、その人たちに会いたくて仕方なかった。だから小学2年の夏休み、ついに1人で飛行機に乗った。初めてのひとり旅だ。

この会いたい人に会いに行く、というこのスタイルが、今の私が旅を続けている理由と繋がっている。

2)空を泳いだくじら

このワードだけで「あれね」と分かる人はいるだろう。
飛行機好き、もしくは30代後半以降の人たちは知っているはず。
そう、マリンジャンボだ。

画像出典:先日掲載した”マリンジャンボ”の記事をご覧になったマリンジャンボをデザインした大垣友紀惠さんよりメッセージが届きました♪|face book|ANA Japan

ラッピングされた乗り物の先駆けだと、私は思う。この出会いが2つめの影響だ。

1993年から1995年5月までの約1年半、日本の空を飛んだくじらのことで、
ちょうど福岡に住んでいた時期と就航期間が重なる。私は休みの日で、かつ福岡空港に機体がいるときには、母と一緒にわざわざ見に行った。
(母も飛行機見るのが好きなタイプ)

また外で遊んでいるときに、「飛んでるかな?」と思いながら空を見る。運よく見れたときには、とても胸が躍った。

「見て!くじらが空を飛んでる!」と。

当時小学6年生の女の子が、空は海より広いをテーマにデザインをした、海の生き物たちと大きなくじらは、日本中を魅了し、空に憧れを抱かせた。マリンジャンボの福岡空港最終日には、家族全員で見に行った。カメラを持った多くの人たちが、その姿を見届けようと押し寄せていたのを覚えている。

最終日の記念撮影

この頃から、私は空に恋をし、「あれに乗ってどっか行くんだ」という気持ちが子ども心に芽生えていた。

大学生となった私が就活をしていたとき、ある広告代理店の企業説明会に行った。そこで過去実績と活躍中の社員をピックアップした冊子をもらい、読み進めていくと、あるページで私の手が止まる。

そこに彼女がいた。

そう、マリンジャンボを描いた当時小学6年生の女の子だ。
大人になってからもデザイナーとして活躍しており、彼女自身も「あの体験があったからデザイナーになった」と、マリンジャンボを描いたという原体験が今に至っていた。

この衝撃を、著名人の言葉を借りて表現するとしたらこうだ。
「感動した」

帰宅してからもう1度読んだ。大人になって、こういった形で出会えると思っていなかったから、感動と感謝の気持ちで涙が溢れた。
この人のおかげで、空を好きになった。
このくじらが、私と旅を繋げてくれた。

空とぶくじらの存在は、私のなかで、旅に対して非常に大きな影響を与えてくれた。

2つの出会いが今の私をつくってくれた

幼馴染たちとその家族と、またマリンジャンボという2つの出会いが、今の私をつくってくれた。

とくにAの家族のおじちゃんとおばちゃんは、大人になった私が行き詰まったときや、何も用事がなくても「今度そっちに帰りたい」と言えば、「いいよ、何が食べたい?」と温かく迎えてくれる。
もはや第2の父母だ。

旅に出たい。見知らぬ土地に行きたい。誰かに会って話したい。

この気持ちのおかげで、私の人生はとても冒険心に溢れたものとなっている。知らないことを見て、聞いて、知っていくことは、とても刺激的な瞬間だ。もしこれらがなかったとしたら、味気ない人生を送っていただろう。

過去が今に繋がる、素敵な原体験が、私を旅好きにしてくれた。
出会ってくれてありがとう


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