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「迷路の歩き方」山田太一

理想と現実をこれほどまでに突き詰めて、お互いの歩み寄りを生き生きと描き出したドラマ

映画のコメント欄より

まじめ一直線の固い父親、そして、合理性という大義名目でズルをしちゃう柔い父親。この対比に加わるのが、息子。閉じこもりの息子。彼は、最初どっちにもなりきれない。

事件が起こって、みんなが本音を言い合う。そう、事件なんだ。どんよりとした空気を変えるのは、事件なんだな。
そして、痛みを抱えるそれぞれの家族の中で、みんなの中を取り持っているのが娘。。。。

なんだかんだ言っても、やっぱり優しさには敵わないね。そして、色っぽい人妻にも惹かれちゃうって、ユーモアも。。

日本に帰ったら、バッテイングセンターに行きた〜いと、思った。息子とキャッチボールしたいなあと思った。

そして、また、春樹節を思い出した。これ。

「未成熟なるもののしるしとは、大義のために高貴なる死を求めることだ。その一方で、成熟したもののしるしとは、大義のために卑しく生きることを求めることだ」

J・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(村上春樹訳)

そうすると!
渡辺徹は、大人で、中井貴一は、まだ子供ってことになる。何故なら、高貴に生きることを求めているからだ。

息子の就職をきっかけに、小さな家族が「正義」を問われて揺らぐ姿を、山田太一の脚本で描く。◆大友啓治(中井貴一)はまじめな運転士。悩みは息子の和也(沢木哲)が、家に閉じこもっていることだ。やがて和也は啓治の友人・永井(渡辺徹)の工務店で働くようになるが、会社の不正を許せず、仕事をやめてしまう。啓治は永井から下請けの厳しい現実を聞かされるが、息子に「汚れろ」とは言えない。これまで誠実を貫いてきた信念があるからだ。一方で妻の典子(原田美枝子)は「汚れなきゃ生きていけない」と譲らない。娘の泉(鈴木杏)は大人は勝手だと思う。ある日、仕事で不始末をした啓治は、即断で仕事をやめてしまう。◆平成14年度文化庁芸術祭参加

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この家族が、善良な市民でありながらも、ひきこもる息子を抱えている悲劇の家族像が描かれています。しかし、精神的にひきこもっていたのは父、母であり家族であったのです。息子のひきこもりは、実は家族の雰囲気の象徴だったのです。山田太一は、家族のありようを引きこもる息子を通して見事に描き切っています。

テレビドラマ『迷路の歩き方』より

母は、専業主婦でひきこもる息子に悩み、家族にかかりっきりで世間の狭い生活になってしまっていたのです。そんな生活に気づいた母は、自分だけの時間をつくり、人とお互いに人生を語り合うなど外部との交流の場をもち、自分の精神生活を豊かにしていこうとする姿が印象的です。また、親友の社長宅と親子共々家族ぐるみで交流を図り、自分を開きながら世間を広げていこうという家族の変容をみることができます。

ひきこもりの若者が会社の不正に対して反発の感情をもつということは、若者の純粋さ、正義感の現れであり、「ひきこもり」に、だらしなさ、怠け、弱さのレッテルを貼るのではなく、鋭い感性の持ち主であることを強調したい場面であるのでしょう。しかし、息子がこれから現実社会とつながって生きていくには、不況を生き抜いていかなければならない会社の現実に苦しんでいる社長の立場を理解しようとする柔軟性も持つ必要があるでしょう。一方、不正を許さず、あくまで真実を求めていこうとする純粋で理想的な自己が果たして現実とつながっていけるのか、当面の人生課題を突きつけられながら自分の人生を選び取っていかなければならない「自立」への芽生えを予測させる場面でもあったと思います。