恋の成就について❤

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 仕事が終わって休憩のため散歩に出る。ブックオフに入ってなんとなく本棚を眺めていると、こんな本があった。『高慢と偏見とゾンビ』。まさかと思うと作者は、オースティンともう一人。裏をめくってみると、こういうあらすじが。なんだ?「戦士ダーシー」って。

思わず買ってしまう。

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 本を持って歩きながら、思い出したのは『若きウェルテルの悩み』の、フリードリヒ・ニコライによるパロディだ。ニコライはゲーテより年長の啓蒙主義者で出版業者。これは、年のいった分別のある人物と血気盛んな若者の対話ではじまるらしい。そして、年長の者が、『若きウェルテルの悩み』の別バージョンの結末を語ってみせるのである。

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 話は、ロッテが思い詰めたウェルテルと過ごした晩の翌日、ロッテが「気高きドイツ娘らしく」昨晩のことを、いいなづけであるアルベルトに語るところから始まるらしい。そしてそのとき、まさにウェルテルの下僕がアルベルトからピストルを借りに来る。……そして、その後、ウェルテルはそのピストルをこめかみに当てて自殺する。しかし、血だらけにはなったものの死にはしなかった。なぜか。アルベルトは、弾の代わりに鶏の血の詰まった革袋をこめてあったから。ベッドに横たわったウェルテルのところに、アルベルトがやってくる。「きみはなぜ寝ている。きみにはロッテがふさわしい。その血をとった鶏の肉がある。それを今夜ロッテと食べるがよい。」そして数ヶ月後には、ウェルテルとロッテは結婚し、そして子どもも生まれる。以上が第一作目らしい。そして第二作目。
 ウェルテルは、妻の難産、愛児の死を経験し、父の遺産を使い果たす。結局、社会生活に順応し、官職につかざるをえなくなる。不機嫌になり、面白くないことがあると外へ出て行く。そこでロッテは、以前と同じような態度をウェルテルが自分に示せばと、ある青年と交際をはじめる。結果的に、ウェルテルとロッテはケンカし、ロッテは実家に帰ってしまう。これが第二作目。そして第三作。
 アルベルトのとりなしで、ロッテとウェルテルは仲直りをする。この後ウェルテルは、真作『ウェルテル』にあるような牧歌的な生活をはじめる。きちんとした家庭人である。しかし、近所に、天才気取りの若者がやってきて、ウェルテルたちの生活にメイワクをおよぼす。結局、ウェルテルは住んでいた土地をその若者に売り払い、よそに引っ越す。そしてその『若きウェルテル悩み』のはじめにあるような二本の菩提樹の繁る広場がある、新しい土地で愛する妻と8人のこどもとともに充実した暮らしをするのである。
 という話である。この話は、これだけ見ると、じつは面白くもなんともない。あの悲恋小説『若きウェルテル悩み』が背景にあるからこそ、である。『ウェルテル』では、いくにんかの、恋愛と人生の敗残者が登場し、ウェルテルは彼らに心をよせる。しかしウェルテルもまたそのひとりであった。ウェルテルは、自らの死を見つめて、一晩だけ暗い目をして、ロッテ一人の彼女の家にゆく。そして、そこで、「オシアン」をともに読み、一度だけウェルテルはロッテを抱き締めてキスを浴びせる。読めば分かるが、ロッテは戸惑っている。ウェルテルに惹かれている自分が分かっているからだ。そしてその後、ウェルテルは自殺するのである。
 とはいえ、だからといって、それをじつは、ウェルテルとロッテはうまくゆきました。いいなずけは身を引きました。結婚できました、としたらどうなるか。上でまとめたようなニコライのパロディになるのか。
 さて、恋愛の正しい結末とはいったいなんなのだろう。べつに『ウェルテル』のようにならずとも、ま、悲恋で終わるのが、正常な道なのではないか。つまりあらゆる恋は成就しないのである。

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