3月24日 アメリカ最終日
朝の8時くらいに起床。
今日の13時50分のフライトでゲットバックジャパンする。
最終日だからといって、特に感慨深くなるわけでもなく、のんびりと準備してた気がする。
ほんで同居人と少し話したりして。
確かこの日は、12時くらいにJFK空港到着を目指して行動してた気がする。
てな感じで、チェックアウトする前に、ちょっとしたお土産だけでも買いたいなと思い、スーパーへ行った。
部屋を出るときに、同居人から「もう出発するん?」て尋ねられたから「1時間後くらいには一回戻ってくるで〜」と伝えて出発。
昨日とはうってかわって、さわやかなモーニングやった。
長蛇の列のスーパーマーケット
ホステルから歩いて5分くらいのとこにあるホールフーズマーケットへ向かう。
スーパーの入り口に従業員が立ってて、「従業員?それとも買い物?」みたいなことを聞かれた。
どうやら、コロナでスーパーに人が密集しないようにスタッフ以外が出入りするときはチェックしてて、一人お客さんが帰るのと入れ替わりで、中に入れるシステムになってた。
いやはや、これがコロナ下での買い物のスタイルなのねと思ったものです。
スーパーの中。なんかカラフルだな。人が少ないのは、入り口で制限かけてるからっすね。とはいえ、こう見ると普通にいるなぁ。
ここで本当は、ウォールフーズマーケットオリジナルのチョコかなんかをお土産に買いたかったんだけど、それは綺麗に全部売り切れだった。
何人か店員さんに聞いたけど、保存食ぽい食べ物はまぁまぁ売り切れになってるのが多かったな〜。
そのあと、のんびりと買い物しながら、ドリンクコーナーを眺めてたら、突然見知らぬあんちゃんが、「このジュース、めっちゃ美味いぞ!おすすめやで!」と話しかけてきた。
なんだこの他人との距離感、おもしれーなと思って購入を決意。
ほんとこの人と人との距離感、不思議だな。日本ではありえない。
そんなこんなで、帰りの食料などの購入を終え、店を出てみると、
角曲がったとこまで長蛇の列ができてて、びっくりしました。
いやはや、この渋滞に巻き込まれなくてよかったぜ。
チェックアウト
その後、ホステルに舞い戻り、同居人と最後の会話。
同居人も仕事に出る直前でバタバタしてた。
僕が食べ残したポテトチップスがあったので、いる?って聞いたら、「いや、大丈夫や!」と言われた。
それが最後の会話になり、さよならを告げて部屋を出ていった。
と思ったら、数分後に戻ってきて、「さっきのポテチ、やっぱ昼飯にするからおくれ」と言われたので、喜んで手渡した。
そして、これが本当に最後のお別れやな、達者でな的な挨拶を交わし、彼は仕事に向かった。
と思ったら、配達用の自転車のサドルを忘れたらしく、数分後に舞い戻ってきた。
さすがに3回目は、若干バツが悪そうな感じでハニかみながら、ちゃちゃっとさよならをして行って出て行った。
正真正銘、部屋で1人になり、そそくさと荷造りをして、僕もチェックアウトに向かった。
アメリカ最後の宿。また来ることはあるのだろうか。
帰りしなに、わりとニューヨークでお世話になったサンドイッチ屋さんとセブンイレブンで、サンドイッチとモンスターとお土産用のチョコレートを購入。
地下鉄に乗車し、ペンステーション経由で、JFK空港へ向かう。
いつのまにか、地下鉄に乗るという行為にもこなれてしまったぜ。
地下鉄はすっかすかだった。
ぼくのなかで、ニューヨークは人が少ない街という印象で終わりそうだ。
空港へ
12時くらいに空港着を目指して行動してたので、11時くらいにペンステーションに向かった。そこで、空港行きの電車に乗り換える寸法だったけど、なぜか乗り場を間違えて右往左往してた気がする。
まぁなんとかなって、空港行きの電車に乗車。
ペンステーションから乗って、途中のなんとかっていう駅で乗り換えたんだ。たしか。
貧乏旅行だったから、空港行きの最安ルートで行ったんだろうな。
とても天気がよくて、電車の窓から見るニューヨークの風景がエモかった記憶がある。
電車の中は、とても空いていた。
空港へ近づく。
そんなこんなで、わりとすぐジョン・F・ケネディ空港に到着。空港もガラガラで。コロナパワーを感じたものです。
もともと予定していたエアチケットが、コロナにより欠航になったため、JALの便に振替になったのはラッキーだったのだが、カウンターでチケットの発券と予約の確認にすごく手間取った。
たぶん急な帰国ラッシュが、各国で起きてたから、中東系の人とかが1時間くらいカウンターでわちゃわちゃしてて、なかなか僕のターンにならなかった。
やっとこさ、僕の番になったらなったで、羽田乗り換え、1日おいて、伊丹行きに乗るという行程を、英語でどのように伝えるか苦戦した。
JALなので、日本人のスタッフもしくは、日本語を話せるスタッフがいるかなと思ってたら、てんやわんやでいなかったみたいだった。
「へい、ぼくはここに羽田行きのチケットを2枚もっている。羽田に到着する。一泊する。そして、羽田から伊丹に向かう。可能?」
みたいに、意図を分割して伝えた。その結果、なんとかなったのでよかった。
思えば、アメリカを横断中、コミュニケーションをするうえで、いったん頭のなかで、小学生一年生レベルの日本語に置き換えて、英語でしゃべるという行為を繰り返していたので、会話のテンポが日本に戻ってからなんか不思議な感覚があったなぁ。
まぁなんとかなったのでよし!
空港の荷物チェックも、こなれたもので、ぱぱっと通過。
搭乗ゲート付近で、しばしチル。当然だがまわりに日本人がいっぱいる。
思えば、この段階で、ほぼ旅は終わってたんだなぁ。
搭乗、さよならアメリカ
定刻通り、羽田行きの便に搭乗。機内はびっくりするくらい日本人だらけだった。ここはもう既にジャパンだと思ったものです。
でも、僕の横には白人のあんちゃんが座ってた。今から日本に行くのかな。思い出してみると、入国制限間近よ日本に向かうなんて、不思議だな。
そのあんちゃんは、マスクを付けたことがあんまないのか、食事中に首下にマスクを下げるのではなく、おでこに装着してたのが、地味にツボだった。
安眠マスクと同じ要領だったんだろうけど、なんか良かった。
機内でなぜか、ジャパンの外務省がゴルゴ13とコラボして国外旅の危険を注意喚起する動画を見たりしてた。
他にも、ターミネータークロニクルや、ジョーカーを見てた記憶がある。
JALの機内食は普通だったけど、なんかお手洗いとか綺麗でさすがやなと思った。
まぁ、アムトラックのトイレや、駅のトイレとかに慣れすぎたせいかもしれないが、そんなとこにも日本を感じたりしてた。
そんなこんなしてたら、いつのまにか12時間くらい経っており、無事に羽田へ。
2020年3月24日の夕方に、旅は無事終了した。
あれから2年
ここからは、完全に追記。なぜか、アメリカ最終日の記事だけ書かないまま時が過ぎ去ってしまったので、ちょうど2年の今日を目標にポツポツ書いてたけど、書き終えたのでスッキリしました。
ほんとは、去年の同じ日にも、同じこと考えてたんだけど、タイミングを逃してしまった。。
実は毎年、アメリカ横断の旅が始まった2月24日が訪れるたびに、1日ずつこの日記を読み進めて、追体験を楽しんでいる。
あんなことや、こんなことを思い出してノスタルジーフィーリングになれるので、ちゃんと毎日書き残した自分を褒めてあげたい。
改めて思うのは、2年もたてばコロナも落ち着いて元に戻ってると思ってたけど、2年経った今も特に変わりなく。
ワクチンにいたっては3回目摂取が始まるという状態なので、特に変わってないじゃないかと思いつつ。
なんだかんだ街の人通りは、わんさかしてきたので、これはこれで回復してきてるのかもしれない。
無人だったニューヨークも、いまではそんなことないはずだ。
それにしても楽しかったな〜、アメリカ。
あの年齢になって、あんな旅ができるとは思わなかった。
我ながらラッキーだ。ご先祖様に感謝やな〜。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?