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塚本邦雄『十二神将変』

雑誌『BRUTUS』の、「百読本」という特集の回をたまたま手に取った。「百回でも読んでしまうほど良い本」を特集した回だ。

ぱらぱらとページをめくり、ふと『十二神将変』という言葉が目に留まる。


「この本をなぜ手に入れたのか記憶にありませんが…」と、選者による本の紹介がはじまる。最近の本ではないのか、と思いながら読み進める。耽美な文章と、登場人物の雰囲気が魅力だという。


選者いち推しの箇所が引用されていた。

硝子越の雨は激しさを加へ木犀の根元の秋海棠が水浸しになつてゐる。はるかな正午のサイレンが真昼の黄昏の寝室に響いて来る。天道は急に睡気を催した。
 「『後朝の夢違へてや初時雨』か。杜国の揚句だつたかな」
 空晶は応へずに煙草に火をつけると深深と吸ひこみ、逆に持ち変へて差出した。吸口がわづかに濡れてゐる。

確かに趣きのある文だ。…と、

後朝(きぬぎぬ)と「煙草を吸い込み、逆に持ち変へて差出す」行為は、情事を連想させるが、

天道と空晶は男、か……?




私のBLセンサーが反応した。



✳︎


(※今回は私の人格が疑われそうではありますが、この本の魅力を必死でお伝えするため、なりふり構わない内容となっています)

✳︎


『十二神将変』は塚本邦雄によるミステリ小説。1997年初版発行。ちょうど私がこの記事で本を知った2022年1月に、河出出版から新装版が復刻していたらしい。早速本屋を巡り、購入した。

「ミステリ」のジャンルに私は普段興味がない。私が興味を持ったのは、垣間見た耽美な文章から感じる古典の香りと、知識の奥ゆかしさと、男同士の愛の予感だ。


先ほどの引用箇所について、まず「後朝」は「きぬぎぬ」と読む。情事の後の朝の表現だ。

きぬ‐ぎぬ【衣衣/後朝】
1 衣を重ねて掛けて共寝をした男女が、翌朝別れるときそれぞれ身につける、その衣。
2 男女が共寝をして過ごした翌朝。また、その朝の別れ。

引用『デジタル大辞泉』

杜国は松尾芭蕉の弟子で、一説によると、二人は男色の仲だったとか。


「煙草を吸い込み、逆に持ち変へて差出す」行為。これは遊女が気に入った客を情事へと誘う行為に由来する。



天道と空晶は読みどおり男だった。

飾磨天道(しかまてんとう)は、精神病理学者。端麗な風貌でおっとりした性格の飾磨家の当主。
淡輪空晶(たんのわくうしょう)は、サンスクリット学者。もじゃもじゃの髭と髪。しかしくっきりとした目鼻立ち。「セルゲイ・ボンダルチュク」のようだと喩えられる。(調べてみたところ、なるほどイメージどおりだった)

空晶は天道の嫁の弟で、飾磨家の食客。いわば居候をしている。


つまり、『BRUTUS』に引用されていた部分は、義弟が姉婿を情事に誘うシーンだったのだ!


ええ…!?



✳︎

邪な気持ちで読み始めたものの、途中そんな気持ちも忘れるほど、読めば読むほど塚本邦雄ワールドに惹き込まれてしまった。

と、いうわけで感想続きます!!


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