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“愛”さえあれば、すべてはきっとうまくいく

うちの子どもたち(小4男・小2男・4歳女)はみんな不登校・不登園だ。それでいて僕たち夫婦は共働き…。え?ほんなら両親が働きに出ている間、子どもたちはどないしてんのん?

僕たち夫婦が出勤した後、日中は基本的に子どもたち3人だけで過ごしている(一応おばあちゃん・ひいばあちゃんとも同居しているので、どちらかがいることもあるが)。それで、子どもたちだけで何をしているかと言うと、基本的にはゲームとYouTubeだ。

ゲームやYouTubeなんて、僕たちだってできることならやらせたくない。だけど、僕たち夫婦が外に出ている中で、それらを禁止することもできないし、どうしようもないというのが実情だ。もちろん、僕たち夫婦のどちらかが仕事を辞めて、子どもたちと共に時間を過ごすという選択肢もないことはないが(学校や保育所に無理やり行かすという選択肢はない)、そうすると、僕たちのストレスはとんでもなく膨れ上がるし、それは結果的に子どもたちにとってもよろしくない。

ということで、今はある意味致し方なく子どもたちにほぼ自由にゲームやYouTubeをやることを許可している。僕たち夫婦が家を出るのがだいたい8時半くらいで、帰ってくるのが17時くらいなので、その間は彼らはゲームやり放題・YouTube見放題ってわけだ(ちょもり家にあるほぼ唯一のルールとして、ゲーム等をする時間は8時〜18時としている(長っ!笑)。それ以外の時間(早朝や夜)は家族みんなで過ごす時間を大切にしている)。

このゲームやり放題・YouTube見放題というのは、僕たちもめちゃくちゃ抵抗があった。「ほんまにええんかな?」ってことは妻とも、そして子どもたち自身とも何度も何度も話し合ってきた。それで結局今のルールに落ち着いている。

ゲーム等をフリーにし出した当初は、それはそれはすごかった。1にゲーム、2にゲーム、3、4がなくて、5にゲーム…という感じだった。長男に至っては、YouTubeを連続再生しているスマホを脇に置きながら、スイッチのゲームをするという二刀流だった。「え?それ、YouTube流してる意味あんのん?」って何度も聞いたが、「この音がないとあかんねん!」と声を荒げていた。

この有様…それはそれは、かなりキツかったっすよ。。仕事に行く前も子どもたちは画面に釘付けになっていて、仕事から帰ってきてもほぼ同じ姿勢で画面に釘付けになっているんですから。。この状況は、基本的にオールオッケーの僕でさえキツかった。妻は実際に体調を崩すことも多かった。

だけど、だけど、僕たち夫婦は最終的に、子どもたちの自由意志を最大限尊重する道を選んだ。

この道を選ぶにあたって、僕たちは“覚悟”をした。「この子たちが幸せである限り、将来ゲーム漬けになってひきこもりになったって構わない」という覚悟を。

その上で、僕たちは信じた。「家族で幸せな時間を過ごしている限り、子どもたちがゲームやYouTubeなどの“幻想”に惹き込まれ続けることはないはず…」と。「絶対に子どもたちは“リアル”に戻ってくる」と。

この苦しい時期がどれくらい続いただろうか…。1年は続いただろうか…。

ある時、あれだけゲーム漬けだった長男が、ゲーム時間の朝8時になってもゲームをやり始めなくなった。それまでは僕たち両親に見つからないように8時前からこっそりやっていた長男がだ。さらに、18時を過ぎてもゲームをやめられない次男に対して、「もうやめて遊ぼうや。ゲームなんてつまらんやん」って言い始めた。18時を過ぎても一番やり続けていた長男がだ。

奇跡。。奇跡すぎる。。。

僕たち夫婦は今、涙がちょちょぎれるほど喜んでいる。子どもたちを信じ抜いてきてよかったと。だってあの長男が「ゲームなんてつまらん」って言い始めたのだから。

ただ、長男が“ゲーム離れ”をし出したのは、単にほぼ無制限にやらせ続けたからだけではないと思っている。彼がゲームから離れることできたのは、“愛”の勝利だと思っている。

どういうことか?僕たち夫婦は、とにかくちょもり家が居心地よくなるように意識し続けている。この家が、子どもたちにとって最高に落ち着ける場所であり、最高に楽しい場所になるように努めている(自分たちも楽しみながら)。そして実際に子どもたちは「おうち大好き!」と毎日幸せそうにしている。そのような“愛の空間”で彼らが育っているからこそ、“幻想”から離れることができたんじゃないかと思っている。“幻想”が愛という“リアル”に勝てるはずがないからだ。

だから僕は、どんな状況であっても「ゲームとかはできるだけ自由にやらせたほうがいいっすよ」なんてことを言うつもりはない。もし“愛のない空間”で自由にやらせてしまったら、そのまま“幻想”の世界に引きずり込まれる可能性が高いだろうから。

つまり、僕が言いたいのは、“愛”がすべてということ。“愛”の中で子どもたちが育っている限り、何をしたって構わないし、全てはきっとうまくいく。

たぶん、そんなもんだと思う。


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