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ちょもり家の子育て②(子どもたちの“世界”を侵さない)

ご飯エピソードの続きをば…

うちでは“全員揃って食べる”ということも重視していない。もちろんみんなで食べたほうが楽しいので、ご飯の準備ができたら「ご飯できたよー」という声掛けはするが、それでご飯を食べるか、それとも遊びを優先するかは子どもたち次第だ。

この時に僕が一番意識しているのが、子どもたちの“世界”を壊さないということ。例えば、レゴブロックに集中して何かを創り上げようとしている時。子どもたちはレゴの“世界”に没頭しているわけだ。その世界を“ご飯を揃って食べる”というある意味大人の都合でぶち壊すことは絶対にしてはいけないと思っている。

子どもたちが何かに没頭している時。“世界”に入り浸っている時。彼らの頭の中では超高速の情報処理が行われている。一瞬のうちに情報を吸収し、処理し、出力するということを何度も繰り返し、普段の何倍もの回転をしている。つまり、その時にこそ子どもたちは“成長”しているのであって、だからこそその時間を止めてはならないのだ。

よく「集中力が大事だ」と謳って、集中力を鍛えるためのトレーニング本とかが売られていたりするけど、僕は集中力を鍛えることほどナンセンスなことはないと思っている。なぜなら集中力というものは、好きなものに取り組めば必ず発揮されるものだからだ。逆にいえば、集中力がないというのは、ただ興味がないことをやらされているに過ぎない。そこが問題なのに、「もっと集中力をつけなさい!」とか言われて無理やり何かをやらされる…。こんな地獄はない。

少し話が逸れてしまったが、子どもが好きなことに没頭している時には決して邪魔しない、ということは子育ての鉄則だと思う。このことに関して、僕が高校生だった時にスクールカウンセラーの先生に教えてもらった話がとても印象に残っている。こんな話だった。

「子どもが花と対峙して、じーっと見つめている時に、“きれいだね”とか言ったらダメだよ」

この言葉を聞いた時には全くその意味がわからなかったけど、子育てをしだしてからようやくわかった。子どもたちが何かを見つめている時、集中している時、没頭している時。彼らの脳内には彼らの世界が広がっている。その世界の広がりは僕たちには想像もつかないくらい広大なのだ。その世界を、例えば”きれいだね”なんていう固定された枠に閉じ込めてしまうような言葉でぶち壊してはならないのだ。花をじーっと見つめている時、子どもは“きれい”だなんて感じていない。“きれい”なんていうそんなちっぽけな言葉の枠を超えた感情を、その小さな体に巡らしているのだ。僕たちはそのことに思いを馳せて、そっとしておいてやることが何よりも重要だ。

とはいえ僕も、こちら側の都合で彼らの世界をぶち壊してしまうことは未だにある。例えば娘がお人形遊びをしている時。彼女がひとりでブツブツ呟きながらお人形さんと対話している時に、ついつい「何やってんの?」とか「お人形さんかわいいね」とか言いたくなっちゃうのだ。こういう“暴挙”を僕もなくしていかないといけない。大人は悪気なく、というかむしろ“善意”で声を掛けることが多いと思うが、それが危険なのだ。

彼らの“世界”を大切にしてやることーそれが、彼らの自由を尊重するということに他ならない。学校に行けば、時間が固定されてしまっていて、なかなか自由を尊重してやることは難しい。しかし、そういった限られた状況の中においても、このことを極力意識しておくことが重要だと思う。つまり、どんな場面でも子どもたちが自分たちの“世界”に没頭できるための環境を確保してやることこそが、大人の責務である。決して、取るに足らないしきたりや慣習に引きずられて、子どもたちの“世界”を侵すようなことはあってはならない。

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