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勇気をもって、自由にさせよう

人間は完璧であるー自分にとって何が必要で、何をすべきかは本能的にちゃんとわかっているーという前提で話を進めていきたい。

この前提に立った時、私たち大人にできることはほとんどなくなる。そもそも‟教育”なんて言葉自体がおこがましいことに気が付くと思う。そもそも完璧である存在に、何を教え込もうというのか。

僕たち大人ができるのは、とにかく子どもたちを自由にさせてやることだ。好きなように遊ばせてあげることだ。決して、彼らの本心を‟抑圧”するようなことだけはしてはいけない。子育てにおいては、これが全てと言っていい。いや、‟人生”において…、と言ってもいいかもしれないが。

先日、小4の長男のクラスで配られている学級通信を見た(学校には行ってないけど、手紙だけはもらっている)。その学級通信の中に、『4年生でがんばりたいこと』というテーマで書いた、子どもたちの作文が紹介されていた。その作文にザっと目を通すと、だいたいみんなこんなことを書いていた。

「お母さんやお父さんをこれ以上悲しませないように、勉強は苦手だけどがんばる」

「今までうるさいと言われてきたので、我慢して静かにできるようにがんばる」

「このクラスがプラス言葉であふれて、みんなが仲良くなれるようにがんばる」ー


僕はこういうのを見ると、ほんとに胸が苦しくなる。まだ9歳や10歳そこそこの子どもたちー人生をこれでもか!ってくらい楽しまなきゃいけないときに、どうしてそんなに頑張らせちゃうのよ…。ほとんどすべての子どもたちが親や先生の意に添うような言葉を書き、自分の本心を抑圧していることがはっきりと見て取れたのだ。もうほんとに辛い。。辛すぎる。。。

こういうことは絶対にやっちゃいけないのだ。それは人間の完璧性を否定することだし、実際に本心を抑圧し続けたら、そのうち心や身体の病気として必ず出てくるからだ。抑圧し、心の奥深くに溜め込み続けた本心は、いつか必ず暴発し、暴れだすー。このへんの詳しいことは、精神科医の泉谷閑示(いずみやかんじ)さんの本に書かれていて、めちゃくちゃおもしろいので興味があればぜひ。

とにかく、僕たち大人のできることは、子どもたちを抑圧から解放し、自由に遊ばせることーこれだけだと思う。そのためにはまず大人自身が自由になっていなければならず、そこが難しかったりするんだけどね。

どうやったら自由になれるか?ーなんてことも追々書いていければと思うけど、それにしても子どもたちを自由にさせるって、ちょっと怖かったりする。僕もそうだった。子どもってほんと何をしでかすかわからないし、自由にさせればさせるほどわがままになってしまって手が付けられなくなってしまうんじゃないかとか不安に思ってしまう。だけど、僕は今、子育ての実践を通じて、‟やっぱり自由にさせてきて正解だった”ということを実感している。

ほんの一例だけど、うちでは歯磨きも強制しない。「歯は磨いたほうがいいよ」くらいのことは伝えるけれど、本人が「磨きたくない。めんどくさい」と言えば、「あっそう」で終わる。そういうことを続けていたら、案の定、長男は虫歯だらけになった。それでようやく気が付いたのだろう。歯磨きはしたほうがいいということに。今や、寝る前の歯磨きは必ずしているし、朝起きてからも自主的に磨いている(僕でさえ、朝は磨かないのに)。それだけじゃなく、食べるものにまで気を遣いだして、いちいち「これ、砂糖入ってる?」と聞いてくる。虫歯にならないように、甘いものは極力食べないようにしようとしているようだ。

生まれてから約9年。長かった…。ここまで耐え忍ぶのは、なかなかリスキーだし(実際に虫歯になっちゃってるし…)、とても勇気のいることだった。だけど、子どもの完璧性を信じて、待ち続けた。そしたらやっぱりちゃんと芽吹いてきた。今回はとりあえずわかりやすいかと思って歯磨きの例を出したけど、もちろんこれだけではない。あらゆる面で長男は芽吹いてきている。

子どもたちを自由にさせることはとても勇気のいることだ。だけど、それをやり抜けば、子どもたちは必ず自分たちの花を咲かす。
松の木になろうとしている子どもたちを無理やり桜の木にしようとしてはいけない。自分は雑草でいいと思っている子どもたちを無理やり桜の木にしようとしてはいけない。そのままにしておけば、子どもたちは命一杯、自分たちの生を全うするのだ。その邪魔だけはしてはいけない。

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