見出し画像

Twitterトレンドで「○○が死去」に乗ってしまう病気を治療したい

猛烈に自分が嫌いになってしまう時があって、それはTwitterのトレンドに載っていた「○○が死去」に乗ってツイートしてしまう時である。

○○さんが亡くなったことに一瞬驚き悲しむが、そのすぐ後に「早く何かツイートしなきゃ」と思ってしまう。みんなと違うことを言わなきゃと思いながら、どんな内容が既にツイートされているか見てしまう。

誰よりも早く、より共感的な内容を考えつき、ツイートの表現に落とし込むか。

誰からの指示も受けていないのに勝手にそんなタスクを抱え込んで、昨日表参道の駅がある交差点のファミリーマートの前のベンチで「あーダサいな」と座り込んで落ち込んだ。

いくらバズっても亡くなった人には届かないのに。何を届けたいんだ?

表現的には亡くなった人の気持ちに寄り添い、優しい自分も表現でき、全く問題ないが、この「○○さんが死去」をネタにして、自分を届ける感じが気持ち悪い。その気持ち悪さが誤魔化すように、ファミマのいちごミルクを飲む。あのフルーチェのような美味しさでもその気持ち悪さは治らない。

本当に悲しかったらしばらく発信できないし、何よりパニクる。ツイートできたとしても「え」くらいか。バズるような「そういう視点でくるか」と思える切り口は考えられないだろう。

テレビの情報バラエティ番組のコメンテーター席に座ってるかのごとく、速報ニュースにコメントを発する。しかも次も呼んでもらえるように、炎上に注意し、多くの共感を集められるように、しかも人と被ることのない斬新な切口のコメントにする。テレビ番組でも何でもないTwitterでだ。何をやっているんだ、自分。恥ずかしい。

みんなが挙ってツイートしそうなトピックがトレンドにあがった時に、ツイートするのをやめたい。何かの病気な気がする。何という病名なんだろう。間違いなく現代病だと思う。

こんなことを思っていると、他人のせいにして、一瞬自分から目をそらす。
Twitterのトレンドには、載ってたから乗ってしまっても問題なさそうなトピックしか載せないでほしい。自分の性格の異常性に落ち込むのは怖い。

この投稿だって、例外じゃない。病気。まだ「○○が死去」を引っ張ってる。鮮度が落ちないうちに、とか思っていると思う、自分。

ツイートなんか、呟きらしく、すぐに消えちゃえば良いんだ。人の話なんか聞いたそばから大体記憶に残らないし。ツイートして1分経つと消えるの。良いじゃん。今、誹謗中傷云々の問題の解決にもなるような気もする。最初はみんなツイートは1分しか表示されないんだけど、ツイート数や内容に応じて、そのアカウントの信頼度や安全性が上がって、表示されていく時間が増えていくの。ツイートなんか残る必要ないじゃん。助けてよ、Twitter。消してくれよ。

「○○が死去」をネタにした先に自分の死があるとすると、何かもっとネタにできないかなと思ってきそうで怖い。自分が死んだ後もツイートが続くように、予約投稿をセットする。自分がいない世界で、自分の周りの人たちが何を思うか。死ぬことで遊ぶ発想、怖い。そうできちゃう環境下だけど、死に関しては避けて扱わないとどんどん変になってきそうである。自殺によって自殺した人を攻撃した人を攻撃する流れが生まれることは、自殺による復讐成立を示すことにもなり、自殺が打ち手なってしまうと、自殺自体がすごく増えそうで怖い。大体の人は死んだ人には一瞬優しいけど、生きてる時には「大変だね!でさぁ」みたいな感じである。

死に関してはTwitterから消えてほしい。お願い、Twitter。