堕落するパターンについて
堕落の過程について、自分の中でパターンがあることに気がつきました。皆さんが堕落するときは、どんなパターンがありますか。
私は仕事柄、ある一定期間家に帰らないことがあります。それは一種の修行のような仕事なので、ネットやテレビのような娯楽から離れ、運動や勉強に集中できる期間でもあります。
その期間にバッチリ自分のためになる習慣を身につけることができるからこそ、また仕事の期間を終えて家に戻って休暇に入ると、その仕上がった習慣がどのように崩れていくかが良くわかります。
そして、休暇期間中の自分を客観的に観察した結果、自分にとっての堕落は、精神的ストレスの緩和から始まることがよく分かりました。皆さんはどうですか。
私の仕事は、他の職業と比較しても、ある程度のストレスがあると断言できます。そのストレスを無効化するために、私は運動したり、勉強をします。運動や勉強が息抜きに感じるほどの勤務環境の成せる業といって良いでしょう。私が運動や勉強をするモチベーションはそこにあります。
極論すれば、私にとっての運動や勉強は、ストレスに対する反射的反応にすぎません。もともと、そんなに運動や勉強が好きではないことが、最近はっきりわかるようになりました。
最初は、食事や睡眠などの生活習慣が堕落の原因なのか、はたまた羽目を外して遊んだのが原因かと、いろいろ内省してみましたが、昨年から3回程度あった、長期の仕事と休暇のサイクルから私が得た結論は、その原因はシンプルに「運動や勉強が好きではない」ということです。
本来、好きではないことなので、必要がなくなれば、運動や勉強に手をつけなくなるのは当然でした。問題は、自分の中では、自分は運動も勉強もそこそこ好きである「はず」と自己規定していたことです。
その先入観が強すぎたために、自分が運動や勉強に対する熱意を失っていく理由がよくわかっていませんでした。正確には、もともと熱意など無かったということになります。
結局、続けていられるのは「好きなこと」だけです。誰に頼まれているわけでもないのに、こうして文字を打鍵しているのは、おそらく好きだからやっていることなのでしょう。このように誰に頼まれもしないのに、手を出してしまうことこそ、本当に伸ばすべき才能であると考えます。
私の場合は、読書や、作文がとても好きで誰に頼まれるわけでもなく取り組んでいたので、結果としてそれが勉強に繋がり、大学入試でも、社会人になるための試験でも、そして私が今いる職場でも役に立ってきたのだと思います。
そういう意味では、私にとっての読書や作文は勉強であり、勉強の中にも好きな勉強や嫌いな勉強があるということになります。私にとっては、好きな勉強はもはや勉強とは言えません。そう考えると、勉強を勉強と捉えている間は、決して長続きはしないとも言えます。
人間生きていると、いつしか「やらなくてはならないこと」や「やったほうがよさそうなこと」に追われ、心の底からやりたいこと、あるいはやらずにはおられないことに蓋をして、意識の外へ追い出しているということが往々にしてあるようです。
確かに、誰もが人生やりたいことだけをやって生きていくことはできないでしょう。ある程度、やりたくないことにも手をつけておく必要がある場合も少なくありません。しかし、自分の本当に好きなこと、やりたいこと、やらずにはいられないことが1ミリでもあるとすれば、その感情を意識の外に追いやってはなりません。
それこそが、その人本来の強みであり、誰よりも頭1つ抜ける可能性のある才能なのだから、より人生をおもしろくするためには、誰かにとっては難儀なことでも、むしろ自分は楽しんで取り組むことができるようなことにリソースを割くべきだと思います。
そして、私にとっての運動や勉強のように、そんなに好きではないけれど、社会を生き抜く上では取り組んでいたほうがいい習慣をいかに継続するかという方法論を確立するためには、自分のクセを読み解くことが重要です。
私の場合、運動や勉強を継続させるには、とにかく強制的にそれが強いられる環境に身を置くのが最も効果的でした。独学が生来できない人間なのです。これを継続するには、強制する人なり環境なりがなければ自分はダメになります。
私がある程度、厳しい職業を選んだのは、そもそも自分のどうしようもなさを自覚していたからでした。何かに強制的に追われている時のみ、自分は頑張ることができるのです。したがって、休暇の時であっても、そうした強制的な場に身をおくことによって、自分は伸びることができます。
自分のクセは、そんなところにあります。皆さんはどうでしょうか。共感する人は教えて欲しいですし、他にもこんな考えがあるというのであれば、ぜひ知りたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?