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自分にとっての最適ライン見極め

 最近、よく朝の4時ごろに目が覚めます。そんなときは無理に寝ようとせず、ジムに行きます。早朝でも意外と人がいて、同じように頑張る人がいるとやる気が出ます。家トレとジムトレの違いは、設備以上に、案外こういったところにあります。

 あと、女性がジムに来るとちょっと嬉しい。今日も5時に起きて、ジムに行ってきました。兵庫にある24時間ジムですが、毎回帰省するたび、同じ時期に運動しにくる人がいて、お互いに言葉は交わさないまでも、相互に軽く意識している感覚が楽しいです。

 ところで皆さんは、本を読むでも、運動をするでも何でもいいのですが、自分で「これをやろう」と決めていることがある一方、すごく疲れていたとき、動くことを優先しますか、それとも休むことを優先しますか。

 この判断、人生において何度も経験すると思います。そして頻繁に起こるということは、とても重要ということです。

 どちらを優先するかは、考え方による影響が大きいと思います。体を休めることで、常に一定のパフォーマンスを優先する人は、無理をしない選択をするでしょう。自分のルーティンを崩すことが嫌な人は、ちょっと無理してでも決めたことをやるでしょう。

 おそらく皆さん、両方を経験されたことがあると思います。例えば疲れていても、やると決めたことをやりぬいたことで、精神的に充足されるとか。逆に、無理をして夜更かししてまで、決めたことを続けたせいで、日中眠くて何にも手がつかず後悔するなんてことも。

 どちらが正解というのは難しいです。対照的に、書店の自己啓発本には、極端なことが書いてあります。「やると決めたことは、命削ってでもやれ」とか、「徹底的に体をやすめることを優先しなさい」とか。

 私の考えを結論から言うと、自分にとって最適なラインを見極めるのが大切です。運動している人ならよくわかると思うのですが、スポーツや武道、筋トレ等のおよそあらゆる運動にはすべからく、その人にとって最適な動きがあります。

 腕の長さ、足の長さ、体重、筋肉のつき方、姿勢…どれをとっても、個人差があります。教本や、Youtube等のネットでの情報は、いろんな個人の特徴を平均したものに言及しているにすぎません。

 これは血圧であったり、食事であったり、いろんなところで応用がきく考えです。平均はとても大切な情報ですが、その平均と自分の間には誤差があることを意識するだけでも、平均ばかり追っている他の多くの人に、小さな差をつけることができます。

 そして、そんな小さな差の積み重ねが、いずれ大きな差となることでしょう。自分の場合、やらなかった後悔が、後の全体のパフォーマンスを下げることが経験的に多いので、少し無理してもやることをやったほうが、全体をみると良い結果を生むことが多いです。

 とはいえ、自分は何事もやりすぎる傾向があるので、そこで崩れて、後に全体パフォーマンスを毀損することもしばしば。そんなときには、やるべきことのハードルを下げます。例えば「腕立てを100回やる」と決めていたならば、「疲れているときは5回だけやる」とレベルを落とし、「継続する」ことを目標にします。

 自分の場合、休むことよりも、やらなかったという後悔の影響が大きいタイプなので、そんな風に折り合いをつけています。休みに入るまでの閾値を下げたほうが上手くいく方もいるでしょう。

 あと、「疲れ」という現象は、わりと精神的な面が強いです。体が疲れていると感じても、嬉しいことが起これば、体の疲れが飛ぶ経験をされたことがあるかと思います。「体の声を無視しないで」とか「休めない人は体のサインを見落としている」といった考えも大事ですが、休みばかりを優先していては、結局何もできないことが多いのもまた事実です。

 「中庸が大事」とは、良くいったものです。ともかくSNSや動画サイトが発達した現代は、過激なサムネで極端な方法論を推奨するものが再生数を稼ぐ傾向があります。

 しかし、私が大切だと思うのは、自分は世間の平均と誤差があることを理解すること。そして、その誤差を埋めるための自分に特化した方法論を確立すること。その方法論を継続するために、実行と休養の間の最適なラインを見極めることです。 

 刺激強めの情報にあふれる現代にあって、中庸であることは難しいかもしれませんが、これらを意識できれば、数年後には大きな差になり自分にかえってくると思います。

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