お空に帰った息子とRADWIMPS
※今回は死産した際の少し重たい話です。苦手な方や不快に思われる方は回れ右してください。
今回は、死産した息子の話をしたいと思います。
今1歳の娘がおりますが、その前に一人、息子を妊娠していました。
初めての妊娠に舞い上がっていたものの、たびたび出血があり、そのたび病院に行っては自宅安静する日々でした。安定期に入れば落ち着くかと思っていましたが、自宅安静していたある日、いつもにはない腰の痛みと腹痛が。大人しくしていようと家で横になって耐えていたのですが、今思えばこれは陣痛だったようです。結局23時ごろに大量の出血があり、仕事から帰ってきた夫にすぐに病院に連れて行ってもらったところ、すでに赤ちゃんの心臓は止まっていました。16週4日の話でした。
すでに陣痛が進んでいたこともあり、そのまま自然分娩することに。
夫に腰をさすってもらいながら、夜中に100グラムの小さい男の子を出産しました。
出産したすぐは、陣痛の痛みが終わりとりあえずの安堵と、産後ハイだったのかもしれません。しかし、夫が帰った後急に悲しみがどっと押し寄せてきました。
お腹をさすってはもうここに赤ちゃんはいないんだ、と思うと、涙が止まらなかったです。
両親に初孫を見せてあげられなかった事も悲しかったし、身近な人に死産を報告するのも辛かった。会社に報告の電話した時に、言葉に詰まりただ「はい」と返事するしかできない私に、優しく声をかけてくれた上司の声色は忘れられません。
棺の代わりに準備したのは千寿せんべいの箱。
棺に入れるようにお花を頼んだのですが、メッセージを入力する欄に何を書いたらいいのかわからなくて、夫の胸に顔を埋めて泣くことしか出来ませんでした。
お花をいっぱい敷き詰めて、寂しくないようにエルモのお人形を入れて、退院した翌日に火葬しに行きました。
本当に小さな赤ちゃんでしたが、火葬が終わるとちゃんと骨を残すことが出来ました。もう何が悲しいのかわからないほど、ただただ悲しかったです。
12週をすぎていたため、産休が適用されたわたしは急遽2ヶ月のお休みに入りました。赤ちゃんのお世話をする事もなく、ただ過ぎていく日々。しばらくは何もする気が起きませんでしたが、気晴らしに一人カラオケに出かけた時です。
大好きなRADWIMPSの歌を歌おうとしたのですが、思わず涙がこぼれました。
RADWIMPSの「蛍」という歌です。
きっと作詞した洋次郎さんはそんなつもりで書いた歌じゃないと思うんですけど、この時は、歌詞が息子と重なって、涙がこぼれて歌えませんでした。
こんな風に、僕ってきれいだったでしょう?といたずらっ子のように笑いながらお空に帰っていったのかな、と想像したら、とても救われる思いでした。本当にそんな風に思ってくれていたらいいな、と心から思います。
もう3年も前の話なのに、最近「蛍」を聞いたらあの時の気持ちが蘇ってきました。思いの外、わたしの心に刻み込まれているみたいです。
なので、この気持ちをNOTEに残しておこうと思い、あまり楽しい話題ではないのですが、今回記事にしてみました。
学生時代から大好きだったRADWIMPS。
死産という経験を経て、より大事なものになりました。今後もずっと応援していきます。
ちなみに、息子を死産した後、この本を読んで号泣しました。
テレビ番組にも出演されたことがあるようです。
お菓子を取りに帰っただけだったのかな。
いつか帰ってきてくれますように。
RADWIMPSについては、熱い思いをそのうち記事にしたいです。
取り急ぎ本の紹介をば。
もし辛い経験をした事がある方、RADWIMPSの「蛍」、聞いてみてください。
音楽の力、本当に偉大だと感じます。
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