【6月7日】指揮者ジョージ・セル(1897-1970)の誕生日

1946年から逝去した1970年までクリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務め、厳格な統率と内に渦巻くパッションで単なるアメリカの一地方オーケストラを世界トップレヴェルの地位に引き上げたジョージ・セル。まだオーケストラ団員のユニオンが浸透していない時代ゆえ、就任から約10年で3分の2の団員を入れ替えたと言われる。三浦淳史は『20世紀の名演奏家』(音楽之友社)でセルを「ハートを持った独裁者」と表現した。

当然クリーヴランド管弦楽団にとってセルは没後50年を経たいまなお大きな存在。地元ラジオ局のクラシックチャンネルでは定期的にセルの音源を取り上げるし、2020年にはこんなプレイリストを作成した。

楽団のホームページには1984年~2002年に音楽監督を務めたクリストフ・フォン・ドホナーニ(1929-)のこんな言葉が載っている。

我々は優れたコンサートとジョージ・セルにより良い批評を得ている

もちろん2021年6月7日にあたってもInstagramで祝意を表した。

アメリカの名門楽団において過去の音楽監督の名前が没後半世紀を経ても現在形で語られるのは異例なこと。それだけセルの存在は大きい。2018年の創立100周年記念ドキュメントでも大半の時間はジョージ・セルと現在の音楽監督のウェルザー=メストに充てられていた。

セルは逝去の約2ヶ月前にクリーヴランド管弦楽団と来日公演を行い、聴衆の度肝を抜き、吉田秀和をはじめ評論家も絶賛した。公演の1つ、5月22日に東京文化会館で行われた演奏会のライヴ録音がCD化されている。そちらについては下記リンクの筆者によるレビューを御覧頂ければ幸い。

戦前のセルはウィーンやプラハを中心に活動していたが、第二次世界大戦の影響で客演先のニューヨークからヨーロッパに戻れなくなり、戦後はクリーヴランド管弦楽団の仕事の合間に欧州へ客演した。ヨーロッパの名門楽団との共演については筆者のブログで以前取り上げた。

セルについては日本語で書かれた文献が殆どない。はなはだ僭越な話だがいずれまとまった形で書きたいと思っている。

この記事が参加している募集

#雨の日をたのしく

17,851件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?