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「お茶の時間が、生活の中に溶けこんでいるのがイギリスです。」

「イギリスの飯はまずい」というは世界的によく知れたネタだ。
出典がどこか知らないが、”国際ジョーク“のひとつに食に関するものがある。

フランス人が言った。
「日本は豊かな国だと聞いていたのに、海藻を食べている。かわいそうに。」
日本人が言った。
「フランスは豊かな国だと聞いていたのに、カタツムリをたべている。かわいそうに。」
フランス人と日本人が言った。
「イギリスは豊かな国だと聞いていたのに、イギリス料理を食べている。かわいそうに。」

ああ、なんとかわいそうなイギリス人!
このジョークの厄介なところは、イギリス人ですら「ほんとにそう」と真顔で頷いてしまう可能性が、大いにあるところなのだ。
哀れなり、イギリス人。

イギリスに留学したことのある身からすると、イギリス料理は別に不味いものではない。
田舎のパブで食べるヨークシャープディングはグレイビーに浸っていて美味しいし、冬になると解禁されるジビエのパイも楽しみのひとつ。
港町で食べるフィッシュアンドチップスは、日本では食べられないくらいさっくりと見事に揚がっている。
特に揚げた芋の美味しさに関しては他の追従を許さない。
イギリスよりも質の高い揚げ芋を供するのは、ベルギーだけだと、ヨーロッパ各国を旅したわたしは感じていている。


砂古玉緒著『ビスケットとスコーン』(講談社、2014)

それはさておき、お茶の時間である。
この「Tea Time」のイギリス性を語るのは、ちょっと難しい。
日本にはそれに当てはまるものがないからだ。

イギリスではとにかくよくお茶をする。
人が集まれば、誰ともなく「お茶はどう?」と声がかかり、わたしはミルク多め、僕は砂糖たっぷり、自分のはミルクなしで、とそれぞれが好みの淹れ方を口にする。
なお、この「お茶」とは、基本的にミルクティーを指す。
そしてテーブルには、当然のように数種類のビスケット(クッキーではない)と、何かしらのケーキ、ブラウニーやキャロットケーキなどが置かれている。

人と合ってお茶をしないことはなく、人を家に招いてお茶を出さないことはなく、休憩中にお茶を買わないことはない。
とにかくお茶を飲む。
お茶を飲みながら授業を受け、ディスカッションをする。
大学の先生たちは、研究室でもセミナールームでも、自前のマグにたっぷりのお茶を用意している。

おそらくイギリスにおける「お茶」というのは、日本人がパスタだろうがラーメンだろうが、「夕ごはん」と言ってしまうのと同じくらい、日常的にふつうであり、何ひとつおかしなことのない行動なのだ。

そして、世界中からメシマズにおける高評価を受け、本人たちもそれを自覚している中で、世界的に見ても飛び抜けて美味しいのが、この「お茶」と一緒に食する粉物の数々である。

イギリスのお菓子、より正確に言えば焼き菓子は、ミルクティーとともに食べることを前提として発展したのだと、わたしは思っている。
仮にイギリスのお菓子をコーヒーやストレートティーと一緒に食べても、特においしくはない。
ところが、暖かいミルクティーと合わせた瞬間、味が一変するのだ。

よく、「口内調味をするのは日本人だけ」(例えばおかずと白米を同時に口に入れて、ちょうどいい味に調整すること)、と言われるが、こと「お茶とお菓子」に関していえば、イギリス人は確実に口内調味をしている。
そう断言できる。

なぜと言って、イギリスの焼き菓子は一般的にパサパサしており、脂っ気が少ない。
イギリスのビスケットの代表作、「リッチティー」は、乾パンをの硬さをやや低めて、マリービスケットの甘さを半分くらいにした、質素極まりない素朴なビスケットだ。
それだけで食べたら、唾液分泌量が少ない日本人は、1枚食べただけで口の中の水分が全部持っていかれて、粉っぽさが口に残ること間違いなし。

リッチティーの正しい食べ方は、熱々のミルクティーの入ったマグに浸し、ふにゃっとする前に口の中に入れることである。
外側はしめって柔らかさを帯び、中心のサクっと感は薄れずに残っている。
このくらいの塩梅で口に含み、咀嚼し、3口分ほどのビスケットを食べ切ったらお茶をひとくちゴクリと飲む。
この繰り返しで、筒状のパッケージで売られているリッチティーは、30分で全部腹の中に収まってしまう。
その間に飲む紅茶の量は、1リットルくらいである。

さて、本の方に話を戻そう。
そんな「お茶と共に楽しむお菓子」を紹介しているのが、本書である。
特にスコーンとビスケットのバリエーションが多い。

スコーンもビスケットと同様、単品で食べろといわれたら拷問のようなお菓子である。
甘味がほとんどない。
脂っ気も水っ気も全くと言っていいほどない。
焼いた粉の塊。
半分も食べないうちに口の中はカラカラになり、最後には喉が詰まる。
英国のスコーンは、個人主義の最高峰を誇るお菓子であって、クロテッドクリームといちごジャムをどのくらいつけるかがキモとなる。
わたしの個人的な食べ方は、スコーン:クリーム:ジャムの比率は、1:1:1である。
一口大に割ったスコーンにクリームとジャムをのせ、3回くらい噛んでからお茶を一口飲む。
これが最高の食べ方であり、この時初めて、粉気と脂っ気、甘味となめらかさがパーフェクトな状態に到達する。

よって、クリームもジャムもなしで食べられる「スコーン」もどきは、「英国のスコーン」とは認められない。
カリフォルニアロールが「日本の寿司」ではないのと同じだ。

とはいえ、アレンジ大国日本のレシピ本である。
日本では入手困難なクロテッドクリームがなくても美味しく食べられる、日本風アレンジのスコーンのレシピも豊富だし、いかにもイギリスといったビスケットやケーキの類も載っているのが、レシピ本としては頼り甲斐がある。

なんせ、イギリスの「お茶」は実際に体験してみないとその感覚がわからないのだ。
日本で「英国風」ティールームに行ってみても、ほんとうに「イギリスらしい」お茶を出すところはほとんどない。
むしろ今まで出会ったことがあるだろうか、というレベルである。

それくらい、イギリスのお茶は日常的であり、かつどこでも食べられ、田舎に行く楽しみのひとつでもある、大変に不思議な文化なのだ。

メシマズの国イギリス。
そのイギリスの食で懐かしく、日本で再現不可能なのは、ビネガーがたっぷりかかったサクサクのチップスと、初夏の訪れを告げるイートン・メス、そしてどのティールームでも楽しめるクリームティーだ。

ああ、クリームティー。
各地のクリームティーを食べるためだけに、またイギリスに行きたい。
そう思わせるだけの力が、イギリスの粉物には備わっている。


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