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「ところで、「そのなか」はどんな具合だったかと訊ねられれば、私は言下に「素敵だった。楽園だった」と答えるだろう。」

この書き出し自体は、サルバドール・ダリの著書から抜粋されているもので、なんでこれが使われているかというと、今回の本がこちらだからです。

有栖川有栖著『ダリの繭』(KADOKAWA、1993)

今回は火村シリーズの長編です。
例によって、どんな事件だったか覚えていないやつです。
この程度ならネタバレじゃないよな……という範囲でいうと(文庫のカバー裏にもあるし)、とある男が、フロートカプセル、なんか疲労回復とか系のマシン、の中で死んでいた、という話。
で、その男がダリに傾倒していたということで、「ダリの繭」です。

サルバドール・ダリといえば、スペインが誇るシュールレアリスムの画家。
名前を聞いたことがない人でも、あの「溶けた時計の絵の人」といえばわかるでしょうか。
あとね、それほど知られていないけど、チュッパチャップスのパッケージデザインもダリだって聞いたことがありますよ、確か。

さて、物語の方はですねー。
何度も言う通りわたし覚えられないのですよ。
なんだろうね、この「ミステリ読んだ端から忘れていく病」は。
忘れていると言うことは、火村やアリスの内面に大きな変化が起きたりとか、隠れたエピソードが披露されたりとかすることがなかったと言うことでしょう。
ある程度の「変化」を伴う物語は、長編短編関わらずにおおよその内容を覚えていることが多いので。
何度も言いますけど、それが火村と対極にある江神シリーズですね。

あ、あと火村シリーズと江神シリーズの違いで言うと、江神さんのことはめちゃくちゃかっこいいと思うのに、火村のことはそう思ったことないってことです。
これは得てして、語り手である「アリス」がどういうスタンスで探偵役と接しているか、ということでしょう。
火村シリーズのアリスは友人で対等な関係で、「こいつは結局何考えてんだろうな」という興味をもって相方に接しているので。
そこに憧れとかそういうキラキラはないんですよね。

そう考えると、火村シリーズが印象に残りにくいのも当然なのかもしれません。
いい歳した(30代の)男性ふたりが、自分の内面を語り合ったり、青春をしたりするわけもなく、また語り手自身がどれだけのことを受け取り考えていたとして、それが文面に出るかというとそんなことはないわけで。
良くも悪くもセンチメンタルなところを見せない大人であるが故に、主人公を主軸とした物語のダイナミズムよりも、推理ものとしてのパズル要素が全面に出るんですよね。
多分そう言うことだと思います。

うーん、ちゃんと記事を書くにはちゃんと読み返さないといけないですねえ。
有栖川有栖はいつも同じことを書いてしまう気がします。

まあそれも十八番ということで。
おそまつ。

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