極めれば自信を持てるわけではない
絵や造形を極めたい。
デッサンを極めたい。
Zbrush(立体造形CGソフト)を極めたい。
そんな決心を時々聞くことがあります。
あそこまで極めれば自分に自信が持てるようになる。と思う最高の到達点ですね。
すごいことだとは思うのですが、そうなったら自信を持てるようになるわけではありません。
なぜなら極めることなんて不可能だからです。
ショック!
富士山が一番高い山だと思って登ってたら、世界にはエベレストがあった。
今度はエベレストを登ってたら、火星にはオリンポス山があった。
エベレストの3倍近い高さの山です。
そして太陽系の外にはもっと高い山も存在することでしょう。
極めるというのはそんなようなものです。キリがありません。
それをゴールにしてしまうと、もっと高い山があると気づいた時にまた自信を失ってしまうのです。
だからと言って、極めようとすることが無駄だなんてこともありません。
上に登ることを目指して、ただひたすら足元を見ながら登っていけばいつの間にやらこんな高いところに来ていた。
こんな感覚の繰り返しが大事なのです。
それをよく見えない遥か高い山の頂上を見てしまうものだから、目の前の一歩を出すのが苦しくなるのです。
上達は、今の自分より上に行くということの単なる繰り返しであり、到達点などありません。
今の自分が認知できる頂上は、上に行けば行くほどもっと高くなることに気づくのです。
どんなに出来るようになっても、頂上があると思ってしまうと、それと比べてしまって今の自分に自信を持てなくなってしまうのです。そこまでの遠さを想像するだけで苦しくなってしまうのです。
だから極めようなんて思わない方がいいのです。
頂上はないので、そこにたどり着くことを目標にするのではなく、ただひたすら昨日の自分よりよくなろうと、今できることを全力でやりながら上がっていけばいいのです。
そうすればいつでも自分実力を明らかに捉えて、確実に上達ができ、今のレベルでも自信が持てるのです。
とにかく、出来ようが出来まいが、今の自分の実力を明らかにして、自分を認めることが一番大事なのです。
出来ないイコールダメだとは決して思わず、出来ないのが今の自分の実力だと素直に認めればいいのです。
そうすれば次の一歩を確実に踏み出せるのです。
出来なくてもいいのですよ。
なぜなら一歩踏み出すことを繰り返せば確実にできるようになっていく事は保証されているのですから。
そしてもう一つ注意しなければいけない事は、自分は極めたと思う事が自信を持つことではないという事です。
極めたと思うことは、もっと高い山があるのを認めず、自分の成長をやめてしまうことなのです。
極めるというと遥か遠いことに思われるかもしれませんが、そうでもないのです。
周りにはそう思ってる人がそこそこいます。
身近な極めたという感覚は、“そんなこと知ってるよ” という感覚ですね。
何事も勉強すればするほど、上達すればするほど知識は深くなっていきます。
例えば、目の形はこうだと思ってある程度できるようになる。
そこで、目の形はこうなんだとわかってる気持ちになってしまうんですね。
ところがさらに勉強・修練を重ねると、それまでは見えなかったことに気づいたりします。
知識は深くなっていくのです。
それを、目の形なんて知ってるよと決めつけてしまうと、そこで新たなことに気づくことを自分でブロックしてしまうのです。
非常に勿体無いことです。
私自身も30年近く造形を続けて、多くの人たちに偉そうの教えたりもしていますが、今だに新たな発見があります。
自分は造形を極めたなんて思ってしまったら、発見を出来なくなってしまうのです。
はっきりと断言しますが、どんなに努力を重ねても、真に極めるということはありません。
技を極めたと思ってピッコロを倒しても、その先にはフリーザがいて、更にはセルやブウまでいるのです。
人生は常に発展途上なのです。
やり続ける限りは上っていけるのです。
そして到達点などありません。
すべての出来事は通過点なのです。
上に進んでいくうちにいろいろな分かれ道に遭います。
その都度様々な選択をして進んでいくと、数年前は考えられなかった選択肢が出てきたりします。
1年先自分が何をやってるかなんて誰にもわかりません。
それだったら今一生懸命上達する努力を今すればいいのです。
慢心せず、そして卑屈にならず、今の自分を認めていれば必ず上達していきます。
それでいいのです。
何年も先に進んでる人と同じ土俵で比べず、自分が常に上達し続ける状態をキープすればいつの間にか上手くなってるのです。
ウダウダいう暇があれば、今日何か、今何かをすることです。
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