自信を持つために諦める

では自信を持てるようにするにはどうすればいいのでしょうか?

 

この人に認められたら自信が持てる。

この賞を取れたら自信が持てる。

これができるようになったら自信が持てる。

 

このように考える人が大勢います。

 

卑屈で、自分に自信が持てない人はこのように考えて、結果そうなって自信を持ったとしても、ちょっとしたきっかけでまた自信を失ってしまったりします。

 

憧れの人が褒めてくれて自信がついたけど、他の人に批判された。

あの賞を取って自信がついたけど、翌年もっとすごい人が賞をとった。

これができるようになって自信がついたけど、もっと上手い人の作品をみた。

 

理由は様々ですが、“今は自信がないけど、こうなったら自信が持てる” と思ってる人は、自分の体が悪いときに、痛み止めを飲めば体が良くなると思うようなものです。

飲んだときは自分の体が悪いのをしばし忘れることができますが、根本の治療にはなっていません。

 

一時凌ぎの薬が切れたらまた痛み出します。

 

Twitterのリツイートの数や、賞を取ることや、誰かに認められることとか、自分でなく相手の反応という外的要因を自分の自信の拠り所にしていては、外界が変化するたび自分の気持ちが右往左往してしまいます。

 生前のゴッホの絵なんてほとんど認められていなかったのですから、世間の反応を自信のよりどころとしていたのなら悲惨極まりないですね。

 

それは本当の自信とは言えません。

 

しかし自信というのは驚くことに、今この瞬間から持つことは可能なのです。

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君にも自信が持てる!


賞なんて取らずに、誰かに褒められずに、まだ大したことができなくても自信は持てるのです。

 

そんな上手い話があるわけないじゃんと思われるかもしれませんが、本当なんです。

今からとっておきの方法を教えます。

 

私から自信の壺(35万円)か、パワーのあるコンフィデンストーン(28万円)を買って家に置いておけばいいのです。

 それだけで簡単にに自信が持てます。

 

嘘です。ごめんなさい。

 

では壺や石を持たずにどうやって自信を持つことができるのでしょうか?

 

それは、“諦める”のです。

 

え? お前何言ってんだ? 自信を持つことを諦めたら自信なんて持てないじゃないか?

これは詐欺か? 詐欺なんか? やっぱり壺や石を買わされるのか?

 

と思われるかもしれませんが、決してそんなことはありません。

 

ここで “諦める” ことの本当の意味を解説します。

 

諦めるとは、放棄するとかギブアップするという意味と捉えてマイナスイメージがあると思いますが、実はもともと仏教の諦観という言葉から来ています。

 

諦観とは、明らかに観るという意味です。

本来は、物事を明らかにする。真実を捉える。という意味なのです。

 

それが諦めるという言葉になったのですが、本来の意味は決してネガティブな言葉ではないのです。

 

そして諦めることが自信を持つこととどうつながるのでしょうか?

 

自信を持つためには、まずは自分を諦める。つまり明らかに見てみるのです。

 

つづきはまた次回お話しします。

 

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 ↓神の声を聞かなくてもここにくれば伸びます

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