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旅の途上で

このタイトル、使うの100回目くらいじゃないのってくらい高頻出ワードですけど、大好きな星野道夫さんへの敬意を込めて。

今月に30歳になった。人間関係でも自分自身のことでも年齢を気にしないようにしているので、どうでもいいって言えばどうでもいいけど、何だかキリのよい数字だからこその今の心境を言葉にして残しておきたい。

20代を振り返ると、結構しょうもないなって思う。
何も成し遂げてないし、全体的に勇気がなかったし、とにかくあれもこれもって欲張って自滅したなあって感じもする。はたから見たら「あなたは好きなことを散々やって羨ましい」って言われそうだけど、自分的には本当にやりたかったことの半分もやれなかったんじゃないかなって思う。

ていうか、すごく長い自分探しみたいな期間だったかも。

私は何が好きで、何が嫌いで、何を大事に思って、何が必要で、何がいらないか。そして何がぴったりで、何が違うか。そういうものを徹底的に見つめた10年間だった。

自称、嫌いなことを何でもないふりして続ける天才な私は、「嫌だよおお…」ってことをやってしまう。自称、超他人を気にする性格な私は、自分の選択の中に「あの人がああ…」が入り込んでしまう。

でもそういう自分自身に気が付いて、これからはもう「純度100%の私の選択で生きたいな、例え傲慢で自分勝手に見えたとしても」と思えるようになった。

どんなふうに生きることが、正解なのか、良いのかは分からない。
きっと人の数だけその答えがあるから。

ただ、
子どもの頃の自分に恥じない生き方をしていたい。

もしもタイムマシーンがあって、子ども時代の自分に会うことがあったとして、「わあ。この大人かっこいいじゃん!」って思ってもらえるようにいたい。年齢とか社会的な一般慣習を気にして生きていくような真似はしたくないし、自分の選択に文句を言って生きるようなださいこともしたくない。

いつでも自分の足と言葉と選択で歩んでいける自分を誇りに思える様にしていたい。


スタコラサッサ。笑



「誰かに理解してほしい」ってもがいていた20代。
「私が私を理解してるよ」と思える様になった30歳。

だけど不思議と20代の頃の様な孤独を感じないのは、子どもの頃からの友人との深い絆や、この10年間の中で出会えたたくさんの人たちからの「思いやり」とその人たちへの「信頼」があるから。

生きていくのが怖かった10年前。
生きていくことが楽しみな今。

うん、大丈夫。笑

旅の途上で、たくさんのものを置いてきたし、たくさんの新しいものも拾った。もちろん置いてきてしまったことを後悔する時もあった。だけど、それらはいつでも滞ることのない美しい光を放つ清流の様に、絶えず流れて巡り続ける。私の思考と心の中で。
最後に、置いてきたものも拾ってきたものも胸いっぱいに抱えて「生きててよかった」って思えればそれでいいかな☺️


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