私たちは走り過ぎていた
夏休みに入ったので、少しばかり時間ができるようになった。
なので、1年ぶりくらいにNoteを再開しようと思う。人間は1年も経つとほとんど別の生き物になるので、生暖かい目で読んで欲しい。
自分は海外サッカーが好きで、特にマンチェスター・シティのペップ・グアルディオラ監督の大ファンだ。
ペップは卓越した戦術眼や傭兵術、選手の鼓舞に至るまで、様々な能力に優れたまさに現代サッカーの巨人だ。名将の率いるチームとは自然と魅力的なサッカーをする。
とはいえ、そんなことを言いたいわけではなく。
もう少し自分に引きつけて話をするのであれば、自分は彼の「言葉」が好きなのだ。
別にそこまで英語ができるわけではないが、惰性で十何年と勉強してきているので、多少わかる。なので、しばしばペップの会見の映像を見て、彼がどんなことを話すのか、どんな「言葉」を用いるのか確かめている。
自分が凄く印象に残っているのは、"We were running too much"という文言。つまり、「私たちは走り過ぎていた」という表現である。
ペップのサッカーは攻撃的なパスサッカー。常にゴールを目指してスピードに乗りながらパスを繋いでいく。
ただし、ペップはこの会見で、「走り過ぎていた」と述べている。そしてこう続ける。「フットボールをプレーする時には歩く必要があるのだ」。
ただがむしゃらにゴールを目指す、死に物狂いでパスを繋ぐ、とにかく走る。ペップからするとこれは間違っていて、まず止まって周りを確認し、スペースを見つけることが優先なのだ。走るのは人ではなく、ボールである。
Noteを再開するにあたって、なぜこんな話を書いたかというと、このペップの「言葉」は今、自分が考えていることに通底しているように思われたからだ。
「言葉」を持っている人間はすごいなと思う。それはその人が触れてきた人間や物事の豊かさがそうさせるのか、育ってきた環境がそうさせるのか、よくわからないが、いずれにしても人間の厚みというのは、人間が生まれながらに有する他者との交信方法、「言葉」から来るように思われる。人文系を専攻しているから、かもしれないが。
いずれにしても、「言葉」を持っている人間の「言葉」は生きていて、他者に示唆をもたらす。
自分は今、とても「歩いている」。
というか、「歩く」ことを覚えつつある。
別に周りが見えているとか言いたいわけではなく。今は自分の人生の中で、一番ゆっくりと時間が過ぎているように感じるのだ。そして、意識的にそうしている。
Noteを再開するまでのこの期間、様々な経験があった。
チャンスもピンチも山ほどあった。
26歳になった。30歳の背中が見えてきた。
なんというか、すごく「走り過ぎていた」。
結局のところ、「走り過ぎる」人生というのは上手くいかないし、楽しくない。きっと、はたから見ると充実してるとか、いつも忙しそうにしてるとか思うのかもしれないが、つまり「ゴールに向かって物凄い勢いでパスが繋がっている」ように見えるのかもしれないが、ゴールが入らなくては意味がないし、前に行けば行くほどボールを取られた時のカウンターが恐ろしい。
そういうサッカーは多分、なんか違うのだと思う。
そういう人生も、多分なんか違うのだ。
特に自分は大学に残って研究している身なので、どうしてもゴールに急ぎすぎてしまう。「走り過ぎてしまう」。
周りはもう就職して、早ければ海外赴任やプロジェクトの責任者なんかを経験するだろう。かたや自分はどうだ?毎日朝から小難しい本を読んで、金にもならないことに時間を費やしている。いつまで経っても学生気分。
負けちゃダメだ。もっと速く、もっと速く走らなきゃ。
何者かにならなくちゃ。自分の人生をもっと豊かなものにしなくちゃ。
そんな最中に人から「お前のやっていることには何の意味があるのか」「収入がない人間のくせに人生設計が甘い」と言われた日にはどうしたら良いかわからなかった。
別に不幸自慢をしたいわけではなく。
まあ、好意的に捉えれば、人生を考える良い問いをもらったと言えるだろうか?当時はとんでもなく傷ついたが。
そんな時に、もう一度自分の生き方について考えることにした。
そして、脚本を書いていた頃の名残で今でも続けている携帯のメモをちらりと見ると、あのペップの言葉が目を引いた。
自分も「走り過ぎていた」のかもしれない。
とりあえず、立ち止まってみることにした。
朝から小難しい本を読んで、金にもならないことに時間を費やすことにした。
人生をプレーするのにも歩くことは必要なのかもしれない。
そこまですんなりと物事が解決したわけではないが、とりあえず、生き方が変わったと思う。今はとにかくスペースを見つけて、良いパスが出せるように、そして上手にパスを受けられるように周りを見ている。
悟ったような物言いをしたなと少し反省するが。
実際、今の自分の気持ちはそんな感じである。
なんだか今の世の中には「歩く」ことが許されない風潮があるように思われる。でも、あんたそんなに死に物狂いで走ってんのに、パスは通らないし、ゴール決まってないけど?
走るのは人ではなく、ボール。走り過ぎちゃダメだ。
周りをよく見て、スペースを探す。
スペースにはきっと味方が待っていて、ゴールに繋がるチャンスになるだろう。
ボールを蹴り込め。落ち着いて、正確に。
自分は今、確かに自分の人生を歩いている。
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