動け、不幸せ

昔から創作をするのが得意ではない。

登場人物を作り上げるために、その人の背景を紙に書き出していくが、全てが「役割」にしかならない。自分には誰かの人生を作り出すことができない。

誰かに創作物を読んでもらった時、決まって言われるのは「全員君だね」。
仕方がないことだ。誰かの人生を創造できない人間には、自分の人生の模倣を登場人物に無理やり詰めて、なんとか動かすしかない。

生まれてから一度も、自分の描いた人物が勝手に動いたことはない。

人物が動くために必要なのは、そいつが「不幸せ」であること、だと思っている。「満たされていない」と言い換えてもいい。何かやりたいことがある、でもいい。

自分が何かを描くとき、誰かの「不幸せ」を想像することができない。
「満たされていない」という思いを誰かの何かの問題に置き換えて、描き出すことができない。

人間が今に満足せず、「幸せになりたい」「目的を達成したい」と考えたとき、物語は動き出すのだと思う。

自分は生まれてから一度も、両親から虐待を受けていない。それどころか、脛をかじり続けている。

クラスの嫌な奴にからかわれたり、嫌味を言われたことはあるが、集団的にいじめを受けたことも、誰かをいじめたこともない。

多少不自由な病気を持って生まれてきたが、手足はあるし、死に至る病気でもない。

恋人にこっぴどく振られたり、頑張って受験した大学に落ちたりして、「死んでしまいたい」と思ったことはあるが、「自分は死んで当たり前だ」と思ったことは一度もない。

自分は、幸せだと思う。

登場人物に悲しい過去を背負わせ、不幸な状況に置くことで魅力的になると勘違いしていた時期がある。

それは一方では正しいし、一方では正しくない。

その登場人物の役割として不幸せを描いてしまったら、もうその登場人物は動かない。ただの人形に過ぎない。

その不幸せを自分が感じ(あるいは共感し)、理解することで、初めてその登場人物は幸せに向かって歩き出し、物語が動き出すのだと思う。

自分には、本当の意味でその不幸をリアルに感じ取る感性が存在しない。
自分は恵まれ過ぎている。

だから、本当に不幸を背負って生きてきた人が描いた不幸せに敵わない。

初めて『人間失格』を読んだ時、自分が幸せな人間だったことに気がつき、とても申し訳ない気持ちになったのをよく覚えている。

パソコンのwordの中に、幾つも存在していた書きかけの小説の主人公たちはみんな「親に虐待を受けていて」、「学校でいじめられて」いた。

けれど、「死にたい」と書かれた台詞はどれも止まっていた。

書いていた中学生の自分は、高校生の自分は生きるのが楽しかった。

自分はいつも小説を最後まで書くことができなかった。

書きながらいつも、彼らを幸せにしよう、幸せにしようと考えていた。
だけど、手は止まっていた。登場人物も、物語も止まっていた。

今だからわかる。自分には、不幸せを書くことができない。

創作のできる人間には二種類いると思う。

登場人物の思いを、人生を、不幸せを、幸せになりたいと思う気持ちを、想像できる人間。すなわち、他者のことを想像できる人間。

そして、それ自体が物語として動き出してしまうほどの壮絶な経験や思いを持っている人間である。

自分はそのどちらでもない。

なんでこんなノートを書いたのかというと、今流行っている漫画『タコピーの原罪』の登場人物たちが家庭環境の悪い子供たちだったからである。
あの漫画を読んでいると、節目節目で『おやすみプンプン』を感じる。

自分はぼけーっと「そうか、家庭環境悪いから、こういう人物なんやな」くらいに読んでいたが、この広がり方、流行り方は尋常ではない。

内容がただセンシティブなだけでは、物語は動き出さない。
そこに存在している登場人物たちは紛れもなく動いていて、それが読者の共感を呼んでいる。とてつもない共感を、だ。

「毒親」、「親ガチャ」という言葉が世間に跋扈している。
21世紀の家族を読み解くために不可欠なキーワードであることは間違いない。

実は自分が思っている以上に、親に否定的な感情を抱いている人は多いのかもしれない。

確かなことは、タコピーの作者さんは間違いなく、このような世の中の空気を上手く掴んでいるということだろう。

他者のことを想像できる人、あるいは自分に強烈な体験を持っている人にちがいない。

もっと他者を想像しなくてはいけない。

今もどこかで辛い状況に苦しむ人がいる。
今もどこかで銃声が鳴り響き、泣き叫ぶ人がいる。
ガラス瓶が弾け飛ぶ音と共に、身体と心が傷つく人がいる。
学校に行く度に言われなきことを言われ、所有物に酷いことをされている人がいる。

自分は幸せだ。
けれど、幸せを感じるのはいつも誰かの不幸を想像した時だけだ。
もっと幸せを謳歌しなくては。
幸せは歩いて来ない。
だから、歩いて行くんだね。



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