見出し画像

ルーシーインザスカイウィズダイヤモンズ 第8話

夜が明けてチョイスは自分の甘さに気がついた。だが自分の愚かさにはまだ気づいていなかった。30分もすれば帰ってくるだろう。1時間もすれば帰ってくるだろう。2時間もすれば帰ってくるだろう。ルーシーが帰ってくることしか彼は想像できなかったのだ。そして、彼女にどっぷりと骨の髄まで甘え切っていたことには気づいていない。

あいつは俺が好きだったのだ。俺以外に行くところがあるわけがない。そう信じていたのだ。

きっと彼と出会った頃のルーシーならこう言うに違いない。
「かわいいね」

どうすればよかったのだろうか。チョイスはテーブルの上のティッシュを1枚抜き取っては丸め、壁に投げた。それを幾度も繰り返しながら考えていた。俺はやれるだけのことをやった。だが結果が出なかった。そんな俺を結果でしか見てない女だった。過程を褒めてほしかった。自分なりに頑張った。これが俺なのだ。俺のことを愛するなら、朽ちるその瞬間まで傍にいてほしかった。

部屋がティッシュで埋め尽くされたころ、東の空に真夏の日がかんかんとその全容を現した。今日もどうやら暑くなりそうだ。クーラーの効いたパチンコ屋に逃げようかとも思ったが、興じるための金は残されていなかった。食欲はないが冷蔵庫を開けてみる。ルーシーが作ろうとしていた料理はわからないが、豚肉とピーマンとキャベツがある。これなら大好物のホイコーローが作れそうだ。俺は料理もできない。彼女の手料理が、配膳をし、箸をとるだけで腹を満たしてくれた一昨日までが恋しかった。テーブルの上に置かれたコンビニのオムライスは小学生の版画のように歪で触れたらボロボロと落ちる乾いた泥のように見えた。

ルーシー。

結局彼女の本当の名前を知ることはなかった。きっと不細工な名前なのだろう。俺を不幸にした女。家事の一切を行って、家計を支え、適当な言葉で俺を騙し続け、麻薬漬けにした女。俺から才能も技術も生活も、何もかもを奪い去っていった女。あいつに幸せが訪れることはない。配信者の家に転がり込んで奔放に宿を変えていく人間など、碌な死に方はしまい。

ルーシーへの堕落は、チョイスに怒りと憎しみを与えてしまった。

ふと気がつくと彼はテレビをつけた。たまにはテレビが見たいとどこかの中古リサイクルショップで彼女が買ってきたものだ。朝の情報番組が流れている。

「……皆さんは人類最古の女性をご存じですか? そう、この化石はルーシーと呼ばれているんです!」

少女のように明朗に語る女性キャスターに苛立ち、彼はテレビを消した。

音楽ストリーミングサービスにアクセスし、ビートルズの曲を探した。

♪想像してごらん、川の上のボートにいる自分を
木々にはミカン、マーマレード色の空
誰かが君を呼んだんだ、そして君はとってもゆっくり答えた
万華鏡の瞳をした少女が

♪黄色や緑色のセロファンの花々
君の頭上に塔のように積み重なって
瞳に太陽が映っている少女を探したけど
彼女はもういないんだ

チョイスはもう目覚めなければよいのに、と眠りにつくことにした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?