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【読書感想文】『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』(東畑開人)

昨日、よなかに地震があった。長野でも震度3か4。スマホをおいて、さあ寝よう、として寝ていたくらいだったので、思った以上のゆれに驚き、緊張した。今住んでいる家は古くて崖地なので、滑り落ちたりしないだろうか、この家は、とか、火の元はなくてもなぜか燃えたりしないだろうか、とかいろいろ考えたりしてしまった。

玄関をあけると、外では不穏な音声が。夜中に町内放送があったみたいで、真っ暗ななか聞き取れない放送を耳にして怖くなる。ちょっとテレビをつけると津波注意報の知らせ。最大震度6強とはいえ、いくぶんクールな放送を見てちょっと心を落ち着けて布団に戻る。

いつもぐっすり寝て寝付きが良い(良すぎる)妻も目覚めてしまったようで、珍しく目が冴えて眠れないということだった。自分はしばし寝床でスマホを見て、ひとしきり見て文京区全体が停電かー(少し前まで文京区住んでたなあ)とか知ったのちもう寝よう、と決めたらそれなりに早く寝ていたみたい。



イントロでもない昨日の記録だが、寝不足で睡眠の質も悪く気分が乗らないので研究せずにこたつで読書することにした。そういや、電話で先にもらった内定連絡があるのだが、なかなか書面が来ないので喜びきれずに不全な最近を過ごしているのもあり、4月からの忙しさ(新しい仕事、大学院、よりやらなくなる育児!)に少し気持ちが後ろ向きということもあり、気持ちがのらない。

さて、この本。朝から2時間くらいかけて読んだ。

ネットでイントロの前文が公開されていたようだけど、本で読むのを楽しみに一切読まずにいた。

内容は、いい意味で裏切られた。著者のぜんぶを追っかけているわけではないけれど(持ってるのはイルツラとエッセイ、そして学術書が一冊くらい)それまでと全く違った構成で、文体も違っていた。
めちゃリーダブルなので、読むだけなら2時間かからないくらいだった。読み疲れることもなかった。

東畑さんは、新刊で読むのが楽しみな筆者ではあるけれど、なんとなく買って読んでいる、というのが正直な程度の読者であるので、深い読み込みは出来ない。だけど、なんか感想文(にかこつけた思い出語り)を書きたいと思った。

書かれている7つの補助線も、臨床心理学的にスタンダードなものかどうか、それすら自分にはわからない。ただ、易しい分類だけど、納得いく内容が多かった。中堅の心理士として、先達を見ては絶望し、後輩を見ては焦る、ということなのだけど、カウンセラーとしての東畑さんの力量(なんてあるのか)はわからないが、ていねいにカウンセリング体験を捉えて、言葉に変える力が抜きん出ているんだろうなと感じた。

言葉に変える力、と記したけれど、これは言語化する力、じゃなくて物語化する力、ってところを強調したい。言語化って、それこそ本でいうところの「スッキリ」化する象徴的行為として、ビジネスワールドで善しとされているものなんだろうから。


さて、じぶんにはかつて臨床心理士を志した過去がある。社会人になってから、もうこりゃ、こころの問題に深く入っていくしかないのかな、せっかくの人生だから、みたいに思って、二年くらい臨床心理学の大学院を2つ、試験を3回ほど受けた。どこも受からなかった。
試験はそれなりに得意なほうで、学ぶことも好きではある。ド文系の文学部出自の俺、こころの問題は、比較的親和性がある、と感じていて、人事とか教育を仕事にしていたこともあるので、いつか学んでみようかな、と考えていたこともある。だけど、ちょっと無理かな、と思うようになって、結局いまは、都市工学のほうで大学院に通っている。まあ、大学院は行っているんだけど。

いろんな理由はあるだろうけど「重かった」のかなと考えている。
ほんとうにこころの問題を扱おうと思うと、相性を超えて「業(ごう)」のようなものが関わってくるんじゃないだろうか。

仕事では、ビジネス文脈で1on1面談とか、人事として社員の相談にいろいろ乗った。キャリア理論も日本のトップから薫陶を受けた。筑波とかで生涯発達の科目等履修生としてけっこうな単位もとった。まあ、カウンセラーのまねごと的なことを、手を変え品を変えながら、30代は試みてきたということなのかもしれない。

結局のところ人事としてもはたらく人の、こころの「重さ」を扱いきれなかったのだなと、書いてみて思った。

大きくこりゃ、無理だなあと思ったのは、20すぎの女子学生とのロープレ面談だったかもしれない。ある大学院の説明会に出たときのこと、学部から上がってくる女子学生も参加していて、不登校児の面談のシチュエーションをやってみましょう、というロープレをした。そのロープレのときのこと。

「なんか、もうなにもかもがだめな感じがして、死にたいんですよね」

みたいな言葉を、カウンセラー役として聴いたときに、ああ、だめだ、返すべき言葉も、とるべき態度もわからない、という諦観つうか、対処のできなさ、めんどくささ、居心地の悪さ、それこそスッキリしないモヤモヤまみれの気持ちになって、企業のなかの別の位相の相談じゃ、太刀打ち出来ないなあと感じたことがあった。もちろん、別の位相なだけで、企業内の人事相談も違った重みがあるし、どっちがシリアスか、なんてことは決められないのだけど。


たまに、こころのための読書が必要になる。そんなときは、文学部出自の自分を少し取り戻して、ビジネス色があまりないエッセイとか、思い切って小説を読むこともある。小説は物語に埋没するので、なるべく大人になってからは避けているのだけど。
そんなときに読もうとするのは坂口恭平、細野晴臣、村上春樹程度ではある。そして東畑さんがそこに加わるのかなと。最近スガシカオづいてるのは、ライブにいったこともあるけれど、ドロドロした「親密性」のモードがあるのかもしれない。だから、あまりスッキリはしない「不純なネガティブ」な日々だけど、こころは豊か、というかうごめいている感じはある。

たまには癒やすように研究モードでない散文を書き連ねてみる。

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